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2016.08.14 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

奥野流富士麓行山北方鹿踊 @北方共同墓地 先祖供養

さて本日もお盆の話題ということで、8月12日のごご6時半ごろから行われました、北方鹿踊の先祖供養についてです。


由来等については「冨士麓行山と皆白行山」(金田三夫著)等より抜粋

麓行山流の鹿踊は、千貫石の宮舘治郎左衛門から亨保年間に永徳寺の勘兵衛に伝わり、そこから弘化2年に北方の岩渕倉之助に伝授されている。
明治22年、大正6年、と再興したが昭和28年以降中断し、その後昭和53年に再興した。その際に踊組の名称に北方を入れたということです。



ここは、金ケ崎町西根下大檀にある北方地区の共同墓地で、毎年8月12日に先祖供養を行ってきたということです。

装束については、前幕は咽印と脇に九曜紋が入るが中立・雌鹿のみ朱色で他は白。前幕の脇には竹雀・梅鉢・三つ巴、裾に市松模様と横に二本線が入る。
袴は中立・雌鹿が五色の市松で他は地車。
特徴的なのは流しで、中立ちと雌鹿は九曜紋の下に朱色で不動明王の種子(カーン)が入り、他は白の種子。
中立ちは富士麓行山の文字、雌鹿は「陸奥乃久乃志乃婦牝鹿の免可能左登勢を楚路へ天遊婦鹿可毛」の和歌が入る。

IMG_5524.jpg

この日は、諸般の事情で5人での奉納となりました。
問題は、この日が当分の踊り納めになるということです。

昭和53年再興した際のメンバーが高齢化して、後継者も無いことから、しばらく活動休止しながら後継者育成に力を注ぐということのようです。

いつの日か、必ず復興していただきたいものだと思います。

IMG_5527.jpg

動画でどうぞ。


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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.08.14 |

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