桜と乙女川
これは5月3日の朝に通りかかった乙女川と先人館と桜の写真。
水沢は城下町といえど明治維新の際に城壁もろとも城(舘)を崩してしまったので面影は殆ど無い。
唯一、城の濠として利用していた堰に後年になって石垣を施したこの乙女川畔が往時の姿を偲ばせる。
特にこの山崎公園から下流の柳町清流館までの佇まいは正に「水沢」の名にふさわしい潤湿とした眺めである。
ここが市街地の町裏とは思えないほどの静寂さである。(とはいえ、最近は町そのものが静寂の中だが・・・)
乙女川については胆江地区の川紀行http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_27/vol27_1.htmより抜粋
「小違堰」は、茂井羅中堰から胆沢町若柳地内で分水し、南都田と水沢一帯の水田を潤しながら北上川へと流れ出ます。水沢市街地付近では、「乙女川」と呼ばれており、また南都田あたりでは「おおばすがわ」とも呼ばれています。乙女川という名の由来は、かつて水沢城(臥牛城)の城主が、外堀だったこの川での川漁を禁じたことから「御留の川」と呼ばれたことにあります。後に乙女という字を当てたとされています。
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