2016.06.24 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

萩野鹿子踊 @ 第31回みちのく鹿踊大会

本日は第31回みちのく鹿踊大会から山形県新庄市の萩野鹿子踊についてです。

まずは由来について「新庄まつり」のHPから抜粋

「起源等についてははっきりしてないが、文禄慶長の頃、既に今の様な姿であった事は、最上義光公が領内の鹿子踊を集めて踊らせた時、長幕の物最も良しと言った記録がある。最上氏の領内で長幕の鹿子は新庄地方の鹿子踊だけなので、凡そ360年程前ということになる。最上氏改易の後には、戸沢氏が入部したのであるが、二代正誠公が領内の鹿子踊を下屋敷に呼び集め、五穀豊穣領内安全を祈願して踊らせた。これを「鹿子の庭入り」と呼び、村々から庄屋が引率して互いに出来栄えを競い、 良く踊った組には殿様から御所望との声が掛り、この組は二度踊らせられた。これは大そう名誉な事としており、萩野領はいつも御所望されたとの事である。

明治2年以降はこの行事はなくなったが、藩制の頃は義務的な稽古のために御夜食米という手当を賜ったものである。旧藩主が東京に住む様になってからは、庭入り行事がなくなり次第に廃れた。明治13年夏、藩主墓参の折「鹿子踊見たし。」とて呼び出したが、萩野と金沢村の2組しか出 場しなかった。踊り終って正実公は「我が家の踊だから末長く無くしないで欲しい。」と付添いの元庄屋広野吉蔵氏に仰せられたとの事である。

荻野では其の後も踊り続けたが、金沢郷では跡を断ち鹿子踊といえば荻野だけになり、戸沢様帰郷の度に呼び出されて御前に披露する習慣となった。」とあります。



爾来、萩野の鹿踊は、隣接地区の仁田山鹿踊とともに地域の重要な奉納芸能であった。

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「踊手(マリコという)は7人で、黒く平つたい獅子頭に鶏毛をつけて冠り、黒い幌幕の中には竹枠をつけたたいこを抱えて打ち鳴らします。」


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「ジカタという唄い手2人は頭に赤い幕を回した菅笠を冠り、白い単衣を着て、太い割り竹のササラをすすりながら唄います。」

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「鹿子達はそれぞれ背中に小さいはたや「ぼんぼり」を指す。
はたを指すのは中鹿子・勝鹿子・負鹿子の3人で、中鹿子のはたには「萩野村」と記され、勝鹿子のそれには表に「大以良川」、裏に「十日風」、負鹿子のには表に「小以良川」、裏に「五日雨」と染め抜かれている。この地方では十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降ると豊作になるといい「五雨十風」のいわれがある。

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動画でどうぞ。


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2016.06.24 |

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