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2012.05.01 | Comments(2) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

岩手県南宮城県北選抜神楽大会 その2

昨日に引き続き今日は3位入賞となりました南沢神楽の屋島合戦から。

内容は屋島合戦の中の源義経配下の佐藤兄弟についての物語。
あらすじについて当日のパンフレットから

「源氏の大将、義経に対し、弓を取つては日本一と言われた平家の武将、能登守教経とが、大将同志の戦いとなった。義経公の臣武洛高き、佐藤二郎兵衛継信、忠信兄弟が力I勢し、継信が、主君の身代わりとなつて、能登守の矢先に立
って奮戦するが、能登守の笛竹ほどの管矢に胸を射貫かれ、勇士は最後をとげる。弟の忠信は、兄継信の敵、能登守と戦い、ついに討ち取る。戦いすんで忠信は、負傷し行方知れずになつた兄を探す。日は暮れ、暗闇の中手探りしなが
ら、やつと探しあて、負傷した兄を抱き上げ、背負つて義経公の待つ高松ケ峰陣屋に行く。そこで、息を引き取つた継信を、義経公と忠信は、ねんごろに弔い、都に帰ります。」

そして”見どころ”として

「瀕死の状態の兄を思う弟忠信の心情。」とある。情話である。

義経


義経vs能登守教経

DSC08889.jpg

忠信、兄の行方を思案。大変素晴らしいコワでした。会場から沢山の拍手でした。
若人の部で個人賞を取りました。

DSC08890.jpg

継信殉死の場。

DSC08894.jpg

大会講評の中に「ひとつ残念なことは、観衆に背を向けての演技がありました。」
という部分があった。
段物(劇舞)を上演する際の留意事項とは思うが、そもそも神楽というものは神事芸能である。
神様に奉納するわけなので、客(人間)に対して後を向こうが横を向こうが関係ないはずである。
しかるに南部神楽大会の講評としてこういう評価をするということは、南部神楽が神事芸能プラス大衆演劇の役割を果たしているということの証明といえる。
この辺に南部神楽発祥の根源がありそうだ。

動画でどうぞ。


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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.05.01 |

コメント:

舞台使い

これは大会では良く言われますね~ 大会で人に見せる神楽と割り切るべきか、或は自分達の神楽の芸風そのものを演じて見せるべきか・・・
自分は断然後者ですが、やはり郷土芸能は土地に伝わったものをズバリそのまま見せるべきだと私は思います。
大会側でも、あらすじのみでなく、そういった面も観客に伝えてこそ、各地から様々な流派系統の神楽を選抜する意味があると思います。

浜神楽の大会のように二間四方で行うのも南部神楽大会として新鮮かもしれませんよ


幣束…祭りの追っかけさんが当たったのは現在平用の物です~
本式は飾りの切り込みが一本多いと姫の、まったく無いと荒(責め)の御幣です。方切のは祓いの幣束と種類ありますが、常々使っておりますのが、その形です~。

2012-05-01 火 12:22:32 | URL | 富主非女 #- [ 編集]

間延びした舞台

たしかに、郷土芸能発表会などでも他の芸能と同じステージでの上演となるため神楽としては広すぎる舞台となり神楽の舞手が立ち位置に躊躇しているのも見かけます。
さらに面の小さな目の穴でしか視界が取れないためよけいに神経を使うのだろうと推察します。

ので、神楽発表会では広いステージを四柱で区切っているところもありますが、その方が心配りとしてはよいのかもしれませんね。

幣束について嵯峨立さんのしきたりがよくわかりました。
幣束の形(截ち方)で思い出したのが豊里の豆からさん祭りに行った際に稲荷神社の社殿の鴨居に各神様ごとに形の違う幣束が飾ってありました。
この辺も昔の法印さんが信仰上の意味合いを考えて創りだしたのかなと思います。
また、ご利益のあるお守りとして売り出しても充分に価値があると思います。

2012-05-02 水 23:14:49 | URL | 祭りの追っかけ #- [ 編集]

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