達古袋神楽 秀衡二度対面の場@第31回一関民俗芸能祭
さて本日は、第31回一関民俗芸能祭から達古袋神楽さんで秀衡二度対面の場です。
その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。
この日の胴取りは三浦一さんです。
幕出し唄は
〽 センヤーハー 牛若丸 柳ケ御所へと急ぐなりホー 急ぐなりホー
演目の牛若丸・秀衡二度対面の場は、牛若丸が最初に平泉に来て秀衡のもとで修行をしているうちに、秀衡から源氏再興のためには牛若丸の父源義朝が平治の乱で平家方に奪われた兵法書を取り返さねばならぬと諭されます。
それをうけて牛若丸は四国の熊山城で皆鶴姫を籠絡して手に入れて平泉へ戻ります。
巻物を秀衡に見せると、秀衡は八十四巻あるべき兵法書が六十二巻しかないことを指摘します。
残る二十二巻はどうしたことかと問われた牛若丸は「後の二十二巻は我鞍馬山にて天狗に術を習った際に、宝刀ともに焼き捨てたと答えます。
それをいたわしく思った秀衡は、牛若丸出陣に際して佐藤基治の加勢を付けるよう助言します。
この後は軍勢借りの場面となります。
佐藤基治の元に着いた牛若丸は、兄頼朝の出兵に馳せ参じることを告げ、加勢を頼みます。
それを聞いた基治は、二人の息子を呼び寄せます。
長男継信、次男忠信の両名は牛若丸の出陣に参じて供することを誓います。
〽 これより屋島をさしてぞ急ぐなりー
動画でどうぞ。 ※撮影機材の不調で、映像が数分途切れております、ご了承願います。
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