清水田神楽 屋島合戦継信最期の場@第36回尾松地区神楽鑑賞会
さて本日は、第36回尾松地区神楽鑑賞会から清水田神楽さんの屋島合戦継信最期です。(事前のプログラムとは異なり、2番めの桜田神楽さんと入れ替えになりました)
その前に清水田神楽さんの由来について
「明治中期、岩手県西磐井郡赤荻村笹谷の南部神楽流笹谷神楽の指導を受け、鈴木幸助らが清水神楽を創設した。
その後中断していたが当時神楽の舞手であった千葉春雄が師匠となり、若い人達に指導をし、昭和四七年正月再興し今日に至っている。」
ということです。現在の代表者は宮崎正喜さんです。
元暦2年(1185年)に一の谷で平家軍を急襲した源氏軍は、屋島に逃げた平家軍を追撃します。
源氏方の大将 源義経です。
平家軍の激しい反抗に苦戦し、平家の猛将平教経の強弓が義経を狙いますが、佐藤継信がその楯となって深手を追います。
戦場の中ではぐれた継信を探しだせと、継信の弟忠信に命じます。
夕暮れの修羅場の浜を探し歩く忠信の前に、方から脇腹へ管矢を射抜かれて瀕死の兄継信を見つけ、主君義経のもとへと連れ帰ります。
継信は主君義経と弟忠信に形見をわけ、辞世の歌を一首残して息絶えます。
〽 東より四国屋島の果てに来て 君の命をここで継信
ちなみに、平家物語の継信最期の段には次のようにあります。
「別に何事をか思ひ置き候ふべき。さは候へども、君の御世に渡らせ給ふを見参らせずして、死に候ふこそ心に掛かり候へ。さ候はでは、弓矢取りは、敵の矢に当たつて死ぬること、本より期するところでこそ候へ。なかんづく源平の御合戦に、奥州の佐藤三郎兵衛継信と言ひけん者、讃岐の国屋島の磯にて、主の御命に代はりて、討たれたりなど、末代までの物語に、申されんこそ、今生の面目、冥途の思ひ出にて候へ」とて、ただ弱りにぞ弱りける。
動画でどうぞ。
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