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2016.01.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

上町法印神楽 道祖@登米市内法印神楽実演会

さて本日は登米市内法印神楽実演会から上町法印神楽さんで道祖を。

その前に上町法印神楽さんの由来について。

「上町法印神楽の起源については資料が少なく定かでないが、江戸時代中期以降、豊郷町、米山町、登米町の法印達が集まって神楽を演じていたようである。
その法印達というのは、
豊里町大曲の喜学院(佐々木家)
豊里町上町の宝壽院(土肥家)
米山町後小路の大善院(鵜木家)
  〃    福壽院(遠西家)
米山町桜岡の定学院(菅原家)
米山町猿ケ崎の地蔵院(榊山家)
米山町善王寺の五大院(豊原家)
米山町八軒小路の定泉院(豊原家)
登米町寺池の大宝院(春日家)
登米町針田の南光院(田村家)
であったといい、これら登米十法印が神楽組を組織し「北流古代御神楽」として各神社の祭典において神楽を奉納してきた。
明治の修験廃止以降は、
豊里稲荷明神の氏子たちによって継承されてきた。
なお、この神楽は体育の日の前日、豊里町稲荷神社で奉納され、「まめからさん祭り」として地域に親しまれています。最近「大乗飾り」が復元されている」

とのこと。



演目の道祖は、浜神楽では夜神楽の最初に演じられる演目で、高天ヶ原から天降る天孫瓊瓊杵尊を迎えて、豊葦原中つ国へと導く岐神(くなどのかみ)=猿田彦の舞となっている。

一見地味な内容に見えますが、法印神楽の主たる所作が込められていて、また鉾と扇を華麗に捌きながらも印を結びつつ舞う様は正に至高の地舞と呼ばれるに相応しい高貴なイメージが有ります。

IMG_0926.jpg

この道祖は又の名を「大場の下(だいじょうのげ)」とも称している。

三宝にのせた米を四方と天に向けて散供しつつ神諷を唱えて舞うので「播種の舞」ともいわれている。

(舞子)物毎に 起こるこころを払い見ば いづれの神か 障りあるべき
(胴取り)面白し 神遊び

(舞子)欽上再拝 かけまくも畏き当社御祭りなり
 御神楽の起こりとは天岩戸のその昔 八百万の神など 高天ヶ原にて天照大神を鎮めたもうより
 世々に伝え来て宮津古行い奉り 天津神国津神を鎮め奉り 太平国土安穏の御祭り事なり

 以下略

IMG_0950.jpg

そして、後半は太刀五請楽(たちごしょうらく)となりますが、これが前半部のネリ舞とは打って変わって、力強く邪気を祓う激しい舞となります。これが最後にくるために道祖の演目が変化に富んだ修験らしい神楽になっているのだと思います。

IMG_0955.jpg

動画でどうぞ。

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.01.19 |

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