落野目神代神楽@第46回酒田民俗芸能公演会
さて、本日は第46回酒田民俗芸能公演会から落野目神代神楽の大江山酒呑童子退治についてです。
こちらも庄内地方に伝播した南部神楽です。
酒田市民俗芸能保存会に加盟している南部神楽系統の団体は、本楯・藤塚・上市神・下市神・西野・漆曽根・落野目・楢橋と、これに加えて遊佐町横町の9団体です。、それにかつては豊原で行われていたという。
いずれの団体も確たる伝承経過は不詳としていますが、基になったと思われる本楯神代神楽に「郷社大物忌神社御分霊神殿新築寄附帳」という巻物が残っている。
その中の「上通神代神楽由緒」という一節に次のように書いてあるという。
「言巻モ、恐多キ夫レ神代神楽ノ由緒ヲ尋ネ奉ルニ其ノ時代久シ、去ル明治拾七年頃旧金山村ヨリ初メテ当村富樫豊太宅ニ招カレ、御神楽ヲ演奏スル(中略)之レ本村御神楽の嚆矢なり・・・」
つまり、明治17年に現金山町から飽海郡に神楽が伝わったということです。
この日私は酒田市へ行くために秋田県の横手市から金山町に出て、その後国道344号線を通って酒田市に入ったが、最上川沿いに走るよりも実に近道であった。栗原方面から金山・新庄を経由しての伝播の様子がこれで解明されたような気がします。
さて、落野目神代神楽の由来については次の通り
「宝暦12年(1762年)に薬師神社の改築の際に始められたという説と、明治になってから蕨岡の上寺から習ったという説がある。演目は10番を数える。本楯神代神楽下組と同じく、三番叟を三人で舞っている。保存会が結成され、特に小中学生を神楽連中に入れてその継承に努めている」
とあります。
おそらくここも、江戸中期までは比山等の山伏神楽が伝承されていて、明治の修験廃止以後に民間の手に神楽が移行した際に仙台神楽(南部神楽)を取り入れたものと推察されます。
さて、演目は大江山酒呑童子です。
げんざいでは宮城岩手の南部神楽団体でもなかなか上演する機会が少なくなってきている演目です。(私は白浜神楽さんの上演しか見たことがありません)
ということで、帝の命を受けて酒呑童子を退治しに赴く、源頼光と渡辺綱、坂田公時です。
それにしても、このセリフの調子、どこかで聞いたことがあります。瑞山系統や登米地方に似ています。
無事に酒呑童子退治が成就するよう住吉大神に詣でると、鬼に毒酒を飲ませよと策を賜ります。
山伏姿に身を替えて大江山酒呑童子の本拠へと潜入した一行は、鬼に囚われた姫と出会い道案内をしてもらいます。
〽 オー 自らは 京都中納言の姫と申すなり
大江山酒呑童子とその手下が出てきます
勧められるままに酒を回し飲みする鬼たち。面が古そうです。
まんまと鬼たちは酔いつぶれてしまいました。会場内は爆笑です。
そして、鬼たちに襲いかかる源頼光主従。目が覚めた鬼たちと死闘が始まります。
敗れた鬼たちは次々と幕に入ります。
最後に残った酒呑童子と戦いの末に討ち取って首を掲げます。
めでたく鬼追討が成就したということで千代の御神楽を舞って幕に入ります。
動画でどうぞ。
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