栗原神楽 屋島合戦@第38回平野神社奉納神楽大会
さて本日は、栗原神楽さんの屋島合戦です。
その前に、栗原神楽さんの由来については定本より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。
現在の代表者は佐藤敬さんです。
この日の栗原神楽さんは準優勝となり、胴取りの今野久悦さんは太鼓の部の個人賞を受けました。
一の谷の合戦に続いて平家を追討すべく、屋島に迫った義経主従です。
平家方の能登守教経が義経に大将同士の直接対決を挑みます。
しかし、決着がつかずにいたところ、教経の家来である菊王丸が管矢を使うよう進言します。
それを察した義経家来の継信が矢面に立ち、一の矢二の矢は容易く薙ぎ払ったものの、管矢に胸板を射抜かれて戦場に倒れます。
戦が終った夕暮れの中で弟忠信が兄継信を探し求めて、ついに見つけるも、継信は深手を負っていました。
忠信が兄継信を背負って主君義経の待つ高松城へと急ぎます。
主君に会った継信は、義経と忠信に形見を残すとともに、忠信に父母を頼むと言い残して息を引き取ります。
平家物語の「嗣信最後」では、継信が間際に次のように語ったとされる。
「別に何事も思い置くべきことはない。しかし、主君が世の中で栄達するのを見ずに死ぬことが心に懸かることです。武士は、敵の矢に当たって死ぬことは元より期するところです。なかでも、源平の合戦に奥州の佐藤三郎兵衛継信という者が、讃岐の国屋島の磯で、主に代わって討たれたなどと、末代までの物語に語られることこそ、今生の面目、冥途の思い出です」と。
動画でどうぞ。
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