2015.03.24 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

宿大乗神楽 五大竜

本日は宿大乗神楽さんの「五大竜」についてですが、その前に同団体の由来について「伊勢の森の大乗会(2009.7.12)」パンフレットより参照

「宿大乗神楽は、明治二十年に村崎野妙法院(天照御祖神社)から二子八幡の妙泉院(二子八幡神社)に伝承され再興しました。明治三四年に村崎野大乗神楽初代「和田永全法印」から二子下宿の「千田行全法印」に榊舞が相伝され、二子大乗神楽として発祥しました。高度成長期に一時中断、昭和五二年に神楽舞を復活させました。平成十三年県指定を受
けて他の4団体と共に104年ぶりに大乗会を復活する文化庁のふるさと再興事業が計画され、平成十五年秋、村崎野大乗神楽「中野法善法印」を師匠に二子八幡神社拝殿で上宿和賀神楽と共に修行し2人が得度し法印号を授与し、その後二人が得度し4人になりました。
活動は、二子八幡神社元旦祭、二月の宿火防祭、北上市大乗神楽大会、八月北上みちのく芸能まつり、九月に二子八幡神社秋祭りと二子いもの子まつり、十月下宿公民館ふれあいディ公演、十一月二月田不動尊奉納、十二月は二子地区大乗神楽発表会や各種イベントに参加しています。」

とのことです。



演目の五大竜については当日パンフレットより

「五人で舞います。王が息子4人に1年を4等分して渡しますが、娘が不満に思い自分にも分けろと戦い挑みます。仲裁に入つた翁が、それぞれから等分に娘に分け与えて納めます。四季の間にある土用が出来た由縁を表します。五大龍は全国的に分布している演日ですが、特に中国地方では重要視され、五龍王、五行神楽、五郎王子などとも呼ばれます。かつては祭文として唱えられていたものが、時代を経るにつれ、五郎の姫宮(西日本では五郎王子)と四人の王子の戦いの物語を演じる(舞う)ようになりました。
この演目は暦の起源を巡る物語となっていますが、この舞の目的は、地霊を鎮めて四季の運行と大地の秩序を回復することにあったのだと考えられます。」

ということですが、まずは目を引いたのが舞台の周囲に建てられた五行色の幡です。
赤黒白青黄色が季節や方角を意味する五行思想の考え方を表していることが良くわかります。
四方に各王子が控え、中央に姫宮が立ち、言い事を述べて四季分けの理を説きます。

IMG_0454.jpg

五郎の姫宮が弓矢を持って四季の神々と戦いますが、何となく上棟式に五行幡の真ん中で鬼門の方向に向けられる破魔矢を想起させますね。これも五行思想の意味合いがあるのでしょうか。

IMG_0455.jpg

本田安治の「陸前浜の法印神楽」の中で陸中江釣子の大乗神楽の項で五大龍として解説しています。
ここでは「先づ 五拍子にて出る。東西南北に居座り、中に姫宮立て居る。翁は幣を持ち云う」とあり、土用の由来を説くということになっていました。


IMG_0457.jpg

そして、四季分けが無事に済むと「兄弟の中和らげ、弓矢を袋に納め、抜きたる太刀を以って魔障ごふぶくの為に、千代の御神楽を奏し給え  これより翁は入るなり、五人五拍子、潜り。末に太刀舞、常の如し」

とあるとおり、五人で刀潜りや太刀御神楽を舞います。
陸前浜の法印神楽とほぼ同様ですが、言い事の場面の他は祈祷的な舞踊化された内容となっていて非常に見応えがありますが、この演目は近年ではなかなか上演機会が少なくなってきているということで、今回の映像記録に取り上げられたということです。
山伏神楽や南部神楽の同演目と比較して見る楽しみもあるので、これからも是非たくさん上演して欲しいと思います。

IMG_0462.jpg

動画でどうぞ。

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2015.03.24 |

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