大原神楽 屋島合戦 @ころもがわ神楽まつり
さて本日は、第25回ころもがわ神楽まつりから、大原神楽さんの屋島合戦についてです。
大原神楽さんの由来について定本より
「西磐井郡厳美村山谷入道の佐藤辛氏が衣川村大原に入婿し高橋姓を名乗る。
高橋辛は三輪流山谷神楽の舞人であったので、高橋寿七が庭元となり高橋辛師匠の指導で大正10年大原神楽を創設した。
戦前、戦後中断していたが、昭和四二年高橋辛、小坂盛雄両師匠の指導で現在の大原神楽が復活した。
初代庭元高橋寿七、11代高橋正名、佐藤光男は三代目である。」
とありますが、現在の代表は高橋末夫さんです。
ところで、衣川村芸能誌の大原神楽の項によれば、大原神楽の演目は大体次のとおりとしている。
式舞と思われるものに 三神楽、翁舞、三番叟、藤沢三番叟、岩戸入り
神舞と思われるものに、魔王退治、中臣祓い、岩戸開き、都入り、五代龍、三熊退治、八岐大蛇、叢雲、岩長、宝剣納、大山祗、西ノ宮、天降り、日の宮、種蒔童子、御室焼、火々出見、海幸山幸、山神舞、八幡舞
そして仕組神楽として田村一代、掃部長者、源氏物等 があるという。
地形的に厳美山谷からは峠一つの地域に有り、かつ明治以降も文化的に変遷が少なかったこともあり、比較的明治初期の神楽をよく残している団体という意味でも非常に貴重であると思います。
さて、演目は源氏方が一の谷攻めで平家方を屋島へと追い詰めた所で大将同士の戦いになった場面です。
源義経に相対するは平家方の猛将である能登守教経で、強弓をもってして義経を追い詰めます。
その間髪を入れず、義経腹心の佐藤継信が間に割って入り主君を助けようとします。
しかし、一の矢二の矢は防げても、三の矢の管矢は防げずに深手を負ってしまいます。
激戦となった屋島の合戦も夕暮れとともに終息すると、浜辺には累々と屍が重なっているばかり。
兄継信の行方をさがして弟忠信が声を頼りに探していると、遠くで微かに呼ぶ声があり
駆け寄る忠信の目に矢を受けた兄の姿が入ってきます。
すでに虫の声の兄を背負い、主君義経の待つ高松城へと急ぎます。
継信は敵の矢に倒れたことを悔やむとともに後のことを弟忠信に託して一首の歌を読み息絶えます。
〽 東より 四国屋島の果てに来て 君に命を捧ぐ継信
動画でどうぞ。
- 関連記事
-
- 鶏舞共演 鶏舞踊り隊、沢田神楽、中里中学校 (2015/03/07)
- 沢田神楽 鶏舞 (2015/03/06)
- 大原神楽 屋島合戦 @ころもがわ神楽まつり (2015/03/05)
- 川内神楽 一の谷 @ころもがわ神楽まつり (2015/03/04)
- 川東神楽 恋塚物語・愁嘆の場 @ころもがわ神楽まつり (2015/03/03)
