牡鹿神楽古実会 西ノ宮@石巻神楽大会
さて本日は、お天気もよく、第37回の石巻桃生牡鹿地方神楽大会に行ってまいりました。
この神楽大会は、石巻地方の各町村を持ち回りで開催しているので、今年は女川町の番ということで、旧女川中学校、現女川小学校の体育館で開催されました 。
今の女川は、湾口は整備されつつありますが、町民の皆さんが安住できる公設集合住宅が軒を並べる地区に生活拠点が移りつつあるようでした。
さて、神楽大会です。
最初に地元の江島法印神楽の打ち鳴らしで始まりました。
そしてプログラムの1番目は牡鹿神楽古実会です。
その前に、牡鹿法印神楽古実会さんの由来について宮城県の民俗芸能1より
「石巻地域(旧牡鹿郡)には旧藩時代、牡鹿十ヶ院と称する修験院があり、南境の正浄院、大瓜の常善院、高木の光妙院、水沼の文殊院、真野には観殊院と喜明院、沼津に宝性院と賢龍院、根岸の開明院、渡波の常楽院であった。
これらの法印たちが相集って各祭礼に際して祭式のあと法印神楽を演舞してきたもので、大正元年に当時稲井村根岸の周明院の津田主税法印によって記された文献によると、この法印神楽は元和3(1617)年あたり、或いは正徳5(1715)年から再興されたものとあるが、その確認はできない。
文化文政のころに最も隆盛を極めたのち、明治維新の神仏分離令によって中断したが、明治12年8月に各院によって牡鹿古実会が結成されて法印神楽が再興されたという。
本山安次博土が昭和4年に石巻中学に赴任された翌年の昭和5年は石巻牧山の鷲峰山長禅寺中興の祖片桐栄洋法印250年遠忌に当たり33日間も大祭が続けられ神楽が行われたらしいので、本田氏はこれらと親しく接し感銘を受けられていたと思われ、『陸前浜本」を編まれる基となった。
明治12年の神楽再興は牧山の零羊崎神社宮司の桜谷可守師と根岸周明院の津田雄記法印等とで実を挙げられた縁もあったか、それ以来この神楽は牧山の宮司によって代々主導されていたようであるが、大正元年のころは現石巻市内域となった、沼津から2、真野2、渡波1、根岸1、水沼1、闘木1、大瓜1、南境1の10人の法印たち(本山派が多いという)によって伝承されていた。
昭和50年ころは会員が15名ほどいたが、現在は沼津から6人、渡波から1人、そして桜谷会長と8人となった。戦後生れは2人であるので後継者不足は否めない。石巻市湊小学校や沼津小学校等で履修を行い、大分上達したと聞いていたが、青年たちの後継者養成が急を要す。
舞台の大乗飾りを復興させ得る指導者も居り、四節の「きりこ」も作成できる。仮面、装束等も秀れたものが揃っている。
零羊崎神社境内には常時、法印神楽用の仮設舞台が設らえてあった。石巻市で行われる文化祭や神楽大会等には毎年出演している。
昭和46年に東北映画社により牡鹿法印神楽によって「白露」と「魔王」が8ミリ映画に記録されている。」
とのことで宮城県指定無形民俗文化財及び文化庁の記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財として選択されている。
現代表は櫻谷鎮雄さんです。
さて、演目の西ノ宮ですが、これは皆さん周知の恵比寿神の舞です。
西ノ宮が鯛を釣る場面でです
みごと鯛を釣った西ノ宮は 故郷へと帰ります
動画でどうぞ。
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