栗原神楽 玉織童子捨て子の場
こーも毎日寒いとさすがにうっとおしくなるが、週末辺りから春めいてくるらしい。
それにしても今日のR4の大渋滞は凄かった、朝8時から6時過ぎまで高速が通行止めになったせいらしいが。
みなさん冬道はくれぐれもお気をつけて。
といったところで、尾松神楽鑑賞会から今日は栗原神楽です。
由来は南部神楽系譜報告書より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出しをし承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。
初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とある。自鏡山山伏神楽の直系ということらしい。
会場内に張り巡らされた数枚の神楽幕は栗原神楽が方々の神楽大会で優勝した証のもので、実力の程がうかがわれる。
法童丸=小敦盛は、平家物語「敦盛最期」をもとにその後の物語を描いた御伽草子がもとで、熊谷直実の出家に纏わる話と謡曲「生田敦盛」も混交している。物語の成立は室町時代といわれ、敦盛の遺児で捨児の小敦盛は法然・直実らに拾われ育てられる。直実の配慮で母である北の方に対面し素姓を知る。ある日、賀茂明神の示現を受け、生田に下って父敦盛の亡霊に出会い、勧められて出家。やがて高僧善慧上人になるという筋書である。
敦盛の妻、法童丸の母は玉織姫(得度して蓮華院尼)と称し、浄土宗金戒光明寺塔頭蓮池院の伝承によれば、大納言源資賢の養女で、子供は無かったとのことだが。
この日の演目は、玉織姫が加茂明神の樹の下に子を捨てて、それを蓮生坊が拾い上げる場面
法然上人 蓮生坊=熊谷直実
子を拾い上げる場面
敦盛に関する段物はとても種類が多く、この日も三場を通しでみると1時間45分という長丁場になるが、帰りが遅くなるので二場の途中で退席してきました。
ダイジェスト動画でどうぞ。
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