雄勝法印神楽「醜女退治」@2023第47回石巻地方神楽大会
さて本日は、2023年9月3日に行なわれた第47回石巻地方神楽大会から雄勝法印神楽で醜女退治です。
雄勝法印神楽は国指定の無形民俗文化財となっています。
由来については「宮城県民俗芸能(1)法印神楽編」より
雄勝町大浜の葉山神社(石神社)宮司千葉憲彦家は、かっての羽黒派修験の市明院で、社伝によれば延徳2(1490)年に創始されたといわれる。同家には元文4(1739)年の『御神楽之大吏』が所蔵されてあり、法印神楽において最も古い文書である。この神楽文書については1項目をもって前述しておいた。同家の延享3(1746)年10月の修験書上によると、桃生郡内の羽黒派十法印(または桃生十箇院とも称す)が記載されてあり、その中には雄勝町の大浜市明院、雄勝浜金剛院(現熊野神社小田家)大須浜大性院(廃絶)の3院が記されている。雄勝町での旧神楽組はこれらの同派修験が相集って神楽を行っていたものと思われるが、長い時代にはどういう経過をたどったものかは解らない。おそらく修験廃止の明治以降だと考えられるが、雄勝町域における神楽組はこの3院を本拠として基本的には3組の神楽団によって行われてきたが、それぞれ相互に交流し合い、さらに十三浜(現北上町)や本吉郡の戸倉(現志津川町)の神楽組との交流も深まっていたといわれる。昭和15年に十五浜神楽団(十五浜とは雄勝町の旧村名)が結成されていたが、昭和26年4月に至り町内の3団体が正式に合流して雄勝法印神楽保存会が結成され1団体に結束して活動し始めた。
ということです。現在の保存会長は千葉文彦さんです。
法印神楽における醜女退治の演目は、黄泉の国で伊奘冉尊が伊弉諾尊に正体を見られたことの腹いせに八人の醜女を使って追いかけた際に伊弉諾尊が鬘と湯津々間櫛で醜女を追い払って逃げ延びたという内容です。
しかしながら、雄勝法印神楽では筋立てが異なり、道化仕立てとなっています。
最初に伊奘冉尊が姫舞にて一舞し、屏風の陰に隠れます。
次に、伊弉諾尊・伊弉冉尊、二柱の神によって生まれた木の神、金の神、水の神、土の神の四神が出て、各々の特徴を述べ 自慢話に花を咲かせて会場を笑いの渦に引き込みます。
ところが四神だけでは足りないということで、火の神が加わって こそ万物が栄えることに気が付きました。
そこで火の神を探しに行くと、醜女が火の神に化けて
四神を苦しめました。
そこへ塞の神が醜女を追って四神を守り、醜女を退治する。
最後は勝利の太刀の舞にて舞納めます。
動画でどうぞ
