fc2ブログ
2023.08.25 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

長安寺盂蘭盆会にて仰山流笹崎鹿踊が盆供養の踊りをなす

さて本日は、2023年8月14日に行なわれた大船渡市日頃市の長安寺盂蘭盆会から盂蘭盆供養の様子についてです。

この日頃市の長安寺は、平安時代末期に気仙郡司金次郎丸為正(正善坊)創建と伝えられ、当初は天台の寺であったが明徳年間(1390年 - 1394年)の22世正光坊のときに浄土真宗に改宗したという。
その後に信仰篤い地元領主によって豪勢な山門が作られそうになったが、禁制のケヤキを使用したためと17.5mの高楼の二つの理由で、伊達藩より取り壊しを命じられ、現在の姿を留めている。

そんなことより、この日は盆の14日で檀家の皆さんが次々に墓参に訪れていました。



そのような中で、11頃に道太鼓で寺の参道を上がってくる。
豪勢な山門で門誉めをし、続いて寺の前にて回向を上げる。
行山流鹿踊の念仏回向は厳かな中にも物悲しい感じがするが、それを鹿たちが歌うので祖霊への何よりの供養という感じがする。
回向が終わると三廻りして終わる。

IMG_7242_20230825184919f84.jpg

回向が終わると寺の住職への門かけとして鹿踊を一庭する。

ここで仰山流笹崎鹿踊の由来について

「大船渡市教育研究所編「郷土資料調査」第一集によると、明和五年八月九日、日頃市村坂本沢屋敷の理惣太なる者が陸前本吉郡南方清水川村(現南三陸町志津川)中左屋敷の弥惣次という人から七代の相伝を受け、大船渡町笹崎大草嶺家の婿養子となり、初めて同部落に伝えた。
その後同家において七之助、芳蔵、門太夫の四代を経て現在の中立笹崎一三氏(門太夫弟)に及んだという。
わたしの古いノートには本吉方面に出稼ぎに行っていた理惣太に伝授したのは四郎兵衛から七代目の師匠弥惣次だとあるが、この四郎兵衛は伊藤伴内持遠の門下であった。
弥惣次という名は舞川に伝わる巻物の「代々之先生之部」には出ていないが、本吉郡の入谷村の行山躍は同郡の清水川村に伝えられたのであろう。理惣太は相伝を持参して日頃市村坂本沢に婿にきて鹿踊を伝えたのだとも聞いている。
 これを書くに当たって念のため笹崎一三氏に問い合わせたところ、坂本沢の理惣太が大船渡村字笹崎の笹崎家(家号は(大草嶺)に婿養子に来て、坂本沢とは別に笹崎鹿踊がおこり、笹崎家以外の中立としては、芳蔵ののち七蔵が幼かったため久作というのが一期踊ったという。現在は一三氏の後をついで日野昭氏が中立をつとめているとのことである。笹崎氏から写しを送って下すった相伝状は次の通りで、やはり弥惣次は四郎兵衛から七代目の師匠であった。」ということです。

笹崎鹿踊の特徴は、舞い込みの際の「ブッコミ」で、一頭一頭がそれぞれ大きな跳躍で複雑に飛びながら定位置に着く、いわばパフォーマンスが今の観衆の驚嘆を呼んでいる。格好いいからね!

IMG_7266_20230825184919dd3.jpg

続いて三人狂い

IMG_7274_20230825184922b10.jpg

一踊りが終わった後で、長安寺の住職より御花が上がったので、それを受けての投げ草舞。

IMG_7299_202308251849222ac.jpg

さて、この日は長安寺太鼓も地元なので太鼓演奏を奉納しました。
これが小さい幼児部太鼓や少年部太鼓、最後には大人の部の太鼓と披露され、地元での芸能披露の良さから「あれ見れ!おらいの孫だでば」などと地域に根ざした芸能を楽しむ空間が溢れていた。
盆の祭りはこうでなくてはね!

IMG_7306.jpg

動画でどうぞ




テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2023.08.25 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

07 | 2023/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ