村崎野大乗神楽「権現舞」@2023天照御祖神社春祭奉納
さて本日からは、2023年4月16日に北上市村崎野に鎮座する天照御祖神社にて行われた春祭(祈年祭)から村崎野大乗神楽の奉納の様子についてです。
ここ天照御祖神社は、南部藩士奥寺八左衛門定恒が、和賀郡開拓成功に感謝して伊勢の皇太神宮の分霊を勧請し、延宝七年(1679)に江釣子村全明寺境内に御社を建立した。その後元禄二年(1689)に村崎野開拓地内に遷宮し、天照皇大神宮を祀ったとあり、南部藩神明社一の宮だったということです。
なお、この神社の神楽殿において2009年7月12日に「伊勢の森の大乗会」として大乗神楽五団体により三十一番の神楽が奉納されている。
といことで、この日午後3時より天照御祖神社附属神楽である村崎野大乗神楽の奉納が行われました。
先に社殿において神事の中で御神楽奏上が行われ、その後神楽殿において最初に権現舞が奉納された。
その前に村崎野大乗神楽の由来について
「村崎野大乗神楽は、天照御祖神社の付属神楽です。奥寺八左衛門配下の山伏・佐々木惣二郎が加持祈祷して寛文六年(1666)に水の取り入れ口を見立て九年後に堰が開通し、元禄二年(1689)村崎野に神社(妙法院)が移りました。そして周辺の山伏達と和賀山伏神楽を起こしたと言われています。幕末にはその神楽も衰退、万法院で開かれた大乗会を契機に広まった神楽を取り入れ大乗神楽として再興されました。
昭和二五年まで神社の宮司。伊勢潔が榊を舞い奉納し、続いて飯豊の斎藤徳重が幕神楽を奉納していましたが、昭和二九年に中断し権現舞のみになりました。昭和五九年、保存会が結成され、中野善一が北笹間大乗神楽の小原長次ヱ門より榊を伝授、平成八年四月十六日春祭りで奉納し幕神楽を復活しました。その後、3人が榊を伝授し、多くの演目を復活
しています。平成十六年の大乗会には、宿・上宿両神楽に榊を伝授、鬼門を見事復活させ大乗会の成功に貢献しました。
神社の元旦祭に奉納、火防祭、四月十六日伊勢神社春祭り、北上大乗神楽大会、北上みちのく芸能まつり、九月五・六日伊勢神社例大祭、十一月上旬三月田不動尊へ宿大乗神楽。上宿和賀神楽と共に毎年奉納。十二月の二子地区大乗神楽発表会や舞初め、各種イベントで活躍しています」ということです。
まずは下舞。
大乗神楽の権現舞は山伏神楽の権現舞と同様である部分と違う部分があり、下舞部分では手次はおおよそ同じであるが、大乗神楽の場合は仏教色が濃いために常にお上数(数珠)が採り物のように繰り出されている。
そして、権現を戴いて舞うのであるが、権現様の袰幕自体が他の山伏神楽とは模様が違っている。
大乗神楽の権現舞の幕の模様は蛇の鱗紋となっている。これは仏教上の説明として佛菩薩の守護神としての蛇神の現れという。
権現とは仏が衆生済度に仮の姿で現れることであり、地域安泰、五穀豊穣、無病息災、火防を祈願し、神仏の供物(米・酒・水)を捧げて祈祷するものである。
動画でどうぞ
