達谷窟毘沙門神楽「母情甲冑堂」@2023第22回いわい地方民俗芸能祭
さて本日は、2023年3月26日に行なわれた第22回いわい地方民俗芸能祭から達谷窟毘沙門神楽で母情甲冑堂です。
この台本は達谷窟毘沙門神楽のオリジナルということです。
達谷窟毘沙門神楽さんの由来については定本より
「今から230年ほど前に始められたと言い伝えがあるが資料はない。
明治初期、水沢市北下幅神楽と、大正初期水沢市瀬台野神楽を指導し交流がなされている。
現在の神楽は、昭和四八年、平泉町平泉字上窟の阿部幸吉師匠の指導により復活したものである。
古い庭元のことは不明であるが、現在照井幸男が代表者となり世話している」
とありますが、現代表は照井幸子氏であります。
達谷窟毘沙門神楽さんは文字通り平泉の達谷窟毘沙門堂 別當達谷西光寺に奉仕する神楽として有名であります。
毘沙門堂での例祭には必ず窟内で御神楽を奉納しています。
母情甲冑堂の演目解説について当日パンフレットより
源義経の忠臣として名高い佐藤継信、忠信兄弟は、 源平合戦で華々しく 活躍しましたが、ともに義経の身代わりとなって最期を遂げました。 しかし、 佐藤兄弟の老いた母は、我が子の無事を信じその帰還を信じて疑いません。
母の乙和御前
佐藤忠信の妻 初音
佐藤継信の妻 楓
そんな親心に深く心を打たれた継信、忠信の妻たちは、それぞれ夫の甲冑を身にまとって母乙和の前にあらわれ、今は亡き兄弟に代わって無事の帰還を報告します。 母乙和は驚き喜びましたが、すぐにそれが嫁たちの健気で優しい思いやりのことと気付きます。
嫁たちの心づかいに感謝しながら、 嫁と姑は亡き我が子我が夫の菩提を厚くとむらいました。
ところでここの説話は、佐藤基治の本拠地福島市では平成7年のふくしま国体の際に、オペラ「乙和の椿」として上演され、その後も幾度か再演されているということです。
佐藤基治、乙和御前、佐藤継信・忠信の墓は福島市飯坂の医王寺にあり、そこには一本の椿の古木があります。不思議とつぼみのまま開かずに落ちてしまう花があり、これは乙和御前の悲しみ、母情が乗り移ったといわれ、いつしか人々は「乙和の椿」と呼ぶようになったという言う事です。
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