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2023.03.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

和賀大乗神楽「大乗の下・神降ろし」@2023慶昌寺公演

さて本日からは、2023年3月25日にさて本日は、2023年3月25日に北上市和賀町煤孫の慶昌寺にて行われた、和賀大乗神楽の公演についてのリポートです。

コロナ禍で4年ぶりに一般客を入れての公演でした。

ということで、最初に門前にての大乗の下、そして舞台清めの舞台入りと神降ろしの儀礼についてです。

その前に、和賀大乗神楽の由来について

「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の高法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称ざその後、一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当萬法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更木,の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾、亀田正樹、現在の鈴木俊逸と続きます。現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽全33演目の内、半数以上の演目を所持しています。」

ということで、現在の代表は鈴木俊逸さんです。



門前にて大乗の下

大乗の下とは、加茂の大明神で、本地は難勝佛に比定されている。
神降ろしや神上げの際に舞う儀礼的な舞で、神楽座の場を清めつつ無事に神楽が納めることを祈願する舞です。
大乗の下は、大乗神楽二十二番目の演目で、鳥兜に直面で錫杖と扇を採って舞う。庭静の国入りのない御神楽で、四方を踏む舞とされている。

また、大乗の下について、菅江真澄の鄙廼一曲に「陸奥の國膽澤の郡神楽唄」には次の記述があります。

「優婆塞の神楽也。こは皆羽黒派の山伏集まりて舞う。重き神楽を大嘗という。きぬがさの下に在りて補任を開くなど、そのゆえことごとし。いづらもかぐらの庭にまづ八雲たつの神歌をうたい、しかるのちに唄うことなり」

また、明治五年までの神楽資料には「大乗遊」とあった演目が、明治八年以降は大乗の下となったという。

ちなみに、和賀大乗神楽の大乗の下の神歌の一節には

〽 大乗ノ 四ツノ隅ナルマスガネ 変ラデ見セヨ元ノ姿ニ

また、仙台市の大崎八幡宮神楽には大浄上というのがあり、その神歌の一節は

〽 大浄は 四つの角なる増かがみ かはらて見せよ 本のすかたを

この相似形の意味するところは、大乗の下の演目の本質を表していないか

S1770057.jpg

続いて本堂に入り神降ろしの儀です。

権現様を納めた祭壇を前にして神楽衆一同が拝礼
御神楽奏上に続いて願文を呪します。

家内安全・息災延命・無事長久・火難消滅・疫病消除・家運繁盛・万民法楽を願い、如意吉祥と願い奉る

S1710007.jpg

動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2023.03.27 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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