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2023.03.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

川西大念佛剣舞「入剣舞・猖足・三人怒者」@2023南股芸能まつり2023

さて本日は、2023年2月26日に行なわれた南股芸能まつり2023から川西大念佛剣舞で入剣舞・猖足・三人怒者です。

川西念仏剣舞の由来についてです。

「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」

ということです。

現在の代表は伊藤敏男さんです。

なお、上記の由来は、川西大念仏剣舞に伝わる年代不詳の「剣舞由来」に記された内容のものですが、平泉の佐野弥左衛門が念佛剣舞を中興したのは永徳三年(1383)であり、それは「高舘モウケ」と称されるもので、おそらくは念佛踊のようなものではなかったかとされている。
今日踊られている念佛剣舞は、後世に修験山伏が神仏習合の踊りとして構成し、さらに風流踊りとして組み直されたものではなかったか。



保持する演目は大念仏剣舞、怒物として八人、六人、三人、二人。一人怒物としてオッコミ、魔王、猖足などがある。

最初の演目は入剣舞

大念仏剣舞には入剣舞、中剣舞、引き剣舞がある

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入剣舞は、庭入りして最初に踊る曲で、回向念佛に続いて扇で踊る。
終盤には扇引きで踊りながらサルコがイカモノを済度していく様を演じる。

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次に猖足(ショウソク)で、この演目上演は十数年ぶりということでした。

扇踊り、綾竹踊り、刀踊りの順で踊るが、綾竹踊りと刀踊りでは四方を切る。

大念仏剣舞は念佛踊りから風流化した際に山伏が関わったとするのは、この念佛踊りに神楽の要素が組み込まれたことでもわかる。

ショウソク(ヒョウソク)という演目は、仙台の大崎八幡宮の神楽本には将足(ひょうそく)として表れていて腰に刀、背中に幣束を差して舞い、最後は二本剣で舞う。
また、薬莱山の三輪流神楽の神楽秘伝鈔には正作としてあり太玉命の舞となっていて、やはり腰に幣束を挿して舞い、最後は両剣で御神楽四方掛かりで舞い納めるとある。

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もっとも上油田の伝書では、剣舞の創始者は羽黒修験者であるとしているので、中世以降に創編されたのであろうことがわかる。
この川西でも踊りの最後は刀二本を使っての「太刀御神楽」風になっているのも興味深い。

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最後は三人怒物
一度念仏の効力で済度された亡者が再び現れて荒れ狂う様を表している。

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山伏神楽の勢剣や三宝荒神のように三人で刀潜りをします。

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動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2023.03.06 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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