菅生田植踊り@2022黄金けせん!民俗芸能大祭part6
さて本日は、2022年12月25日に行なわれた黄金けせん!民俗芸能大祭part6から菅生田植踊りです。
由来について
「今から200年前、大船渡村下船渡の人が胆沢郡に赴いて踊りを習い覚え、近辺に披露した所、これを見た立根村菅生と下欠地域の若者が自分たちも習い覚えて踊ろうということで始まった。
昭和10年、大船渡市立根町の菅生と下欠の両地域の青荘年たちで組織された修養団体の「国旗会」が事業の一つとして明治時代に当地域の人達によって踊られていた田植踊りを復興させ伝承に取り組み、踊りの体験者長老3人から指導を受け、昭和11年2月1日田植踊り復興第一回発表を「菅生・下欠経済更生記念田植踊」の大きな幟を掲げ、村内を巡り踊り多くの観衆から大喝采を受けたと記録されています。
昭和12年2月には盛六郷を6日間に亘つて巡り踊っていますが、昭和13年から昭和22年まで戦時体制の影響や第二次世界大戦等で一時中断したが、昭和23年村内を巡り踊り再開を果たした。」
とあります。
この踊り手の構成は、踊りの進行と御祝儀の御礼などの□上を述べる馬子僧、羯鼓太鼓を手に歌いながら踊る太鼓打ち、歌を歌いながら田植えのしぐさを踊る早乙女、そして囃子を奏でる笛吹きで構成され、実際の田植えの様子を舞踊化した田囃子である。
胆沢田植踊の弥十郎と多少異相の感がある馬子僧
太鼓を打ちつつ踊る羯鼓
そして早乙女 仙台田植えの系統をひく装束となっている
道中囃子で始まり、「あさはか」、「おしょうがつ」、「くろかわ」、「かまくら」、「ゆうぐれ」、道中囃子で退場となる。
各踊りの前には杁を打ち鳴らしながら馬子僧が□上をあげるのだが、特徴的なのは口上の内容によって飯櫃や酒樽を肩に担いであるくことだ。口上は「代かき」、「えぶすり」、「投苗打」、「御田の神」、「御祝儀の御礼」、「間の狂言」、「最後のお喜び」である。
途中で馬子僧が田植えの褒美に大旦那様から祝儀を頂いたことを述べて、益々励んで田植えをなさんと早乙女衆に呼びかける
囃子唄であるが、胆沢直伝でとはあるが多少趣を異にしている。何となく御祝風でもあり、かつ念佛剣舞の太鼓唱歌同様に唄の節々の終わりを長く引く歌い方をする。これが実に神妙であり哀愁を帯びていて夕暮れの田園風景を彷彿とさせる。
動画でどうぞ
