加勢祭と八幡権現舞@2023鎮守府八幡宮加勢蘇民祭
さて本日は、2023年1月29日に奥州市水沢佐倉河に鎮座する、鎮守府八幡宮で行なわれた加勢蘇民祭についてです。
この祭事は宮中の古態を残した追儺の行事として有名です。
鎮守府八幡宮は、奥州市水沢の北東部に位置する佐倉河の八幡地区にあります。
さて鎮守府とは、陸奥国に置かれた古代日本における軍政を司る役所で、はじめ多賀城にあったが802年(延暦21年)に坂上田村麻呂が胆沢城を築城し、この時に鎮守府は胆沢城に移された。
その際に、胆沢城の鬼門(北東)の方角に豊前国宇佐八幡より神霊を勧請し、神宮寺の安国寺とともに鎮守府八幡宮と号し東北開拓経営の守護神として造営されたということです。
さて、この祭事は「加勢祭 そみんぼう神事」が正式名称ということですが、その由来について鎮守府八幡宮の資料より抜粋
「嘉祥三年(850年)慈覚大師円仁は鎮守府の八幡宮及び付属の安国寺の別当職となった。
慈覚大師圓仁は当時東奥の地が疫を患い、民庶死に尽くすといわれるほどの疫病病災に悩んでいる事を知り、八幡宮創建の時より行われていた修生会、心経会に大師所持の疫病除けの護符「そみんぼう」と嵯峨天皇宸筆の八幡宮寶印を八幡大神の御前に捧げ、民庶の苦瀬苦悩救済を八幡大神に祈った。
この「そみんぼう」の由来は「慈覚大師が過って大病を患いしとき、夢に天より薬を送られる。その形、甜瓜の如くして、それを喰うと其の味、蜜の如く甘味であった。「是は三十三天不死の妙薬なり」と、飲むこと三度、十日ほどして身健に眼明らかに、心にわだかまるものなく、病を絶つことを得た。」(三代実録) 慈覚大師は、これを素戔嗚神であると霊感を感得し、この甜瓜の形に葉と花をそえ薬神の像として版刻した版木を疫病除けの護符と して当八幡宮へ御下賜なった。この「そみんぼう」の霊力威力はたいへん強く疫病退散、諸病消除など悪難消滅を八幡大神の神前にて心中祈念し、その護符を家人の懐中に納め、あるいは氏戸の戸口に掲貼する。この護符を戸口に貼ると、この門內(家内)には疫病、災難災害が 入らないという。その時より1172年の永きにわたり修国安民の願いのもと氏子萬民を守 り給もう護符、それが当宮最強の護符「そみんぼう」である。
それが当日参拝者に配られるカラス人間のように見える御札です。
また、嵯峨天皇より賜った八幡宮寶印(護王寶判)は、弘仁元年(810)に永らく続いた東奥の戦乱が平定し天下が泰安に成ったのは八幡大神の御神威によるものと奉謝し、天皇御自ら宸筆の八幡宮寶印を神前に奉じ、天下泰平、国家安穏、そして民庶の安寧平安を八幡大神に祈った。
後年、慈覚大師は宸筆の古損を恐れ畏しこみ唐土(支那)より持ち帰った香木の表裏に若宮寶印奉と八幡宮寶印の二面を版刻し、後世永く伝える事を願い当宮の宝蔵に納め た。爾来、この護符は民庶の安寧平安を守り、その守護札「そみんぼう」と「護王寶判」の ニ札は一組として拝受を望む者へのみ授与されることが恒となった。
実に特殊な護符で他社 にその類を見ない全国でただ一社のみの護符。」
今まさに疫病蔓延が長きに亘り世界中の人民を悩ませている時、その御神威に縋る思いです。
そして加勢祭。
宮司祝詞の後に拝殿の戸を開け放って、外へ向けて鬼やら疫病やらを威嚇して追い払う神事です。
往古の宮中で行われた追儺の行事では神官を中心として、その両隣に武官が弓と刀を持って鬼を追い払うという神事をおこなっていた。ここ鎮守府八幡宮でもそれに則って1200年来行われてきたのではと宮司が解説されていました。
この祭事の形式としては、正月八日から十四日までの修正会(天下泰平と国家安穏を祈祷する)として加持祈祷する祭と、正月十三日に行われていた心経会(鎮疫祭)が合わさった神事となっている。
そして加勢祭の本質である「追儺」について
追儺は、中国の宮中で行われる辟邪の行事として、新年(立春)の前日である大晦日に行われていた儀式。
日本でも大陸文化が採り入れられた過程で宮中で行われるようになり、年中行事として定められていた。
方相氏は、4つの目をもつ四角い面をつけ、右手に戈、左手に大きな楯をもち、熊の皮をかぶり、疫鬼や魑魅魍魎を追い払うとされている。
そして剣と弓矢で悪魔を祓うこと二度。
〽 八幡の井垣の内に弓矢張り、向こう矢先に悪魔来たらずと
〽 八幡の内の八重桜、花が散るとも氏子漏らさず ヤー!!
ところでこの追儺について宮司から聴いた話によると、昔は祭りの日は近隣氏子衆が神社に夜籠りに来て、自分で紙を持ち寄り、それに牛王宝印の版木に墨をつけて刷り神前に捧げた。そして朝日とともに悪疫退散の鬨の声をあげた。また鬨の声は昔は8回声をあげという。
ところで、ここ八幡宮には坂上田村麻呂が奉納した神宝があります。
年に一度この加勢祭にしか拝観できないので、この日も神事が終わった後に参拝者が集まって見ていたのがこれです。
坂上田村麻呂が苦難の末に胆沢に鎮守府を開き、更に北方に向けて進軍する際に八幡神に祈願を奉じた証として献納した剣と鏑矢です。
ということで、かつては加勢祭が行われた日から旧正月十四日まで春祈祷として氏子の家毎に巡回祈祷をして護符を配り歩いたということです。
本日賜った品々に新しいものがありました。昨年まではラミネートしたそみんぼうのカードでしたが、今年はストラップタイプのものになっていました。携帯につけて歩こうと思います。
加勢祭が済むと、再び拝殿に戻り神賑としての権現舞が執り行われます。
ここ八幡宮では八幡権現舞保存会(やわたごんげんまい)が神事に奉斎しています。
権現舞の獅子頭は630年前の八幡宮火災にも焼けることなく残り、火防の獅子頭として信仰をうけ、江戸時代中期になって村中の家々を廻った八幡宮春祈祷に権現舞を舞い火防の祈願をしたと伝えられているそうです。
その後幾度の中断をへて平成14年胆沢城造営1200年記念事業で八幡権現舞保存会が結成され、大償内齊部流鴨沢神楽の指導を受けて現在に至る。
保存会のメンバーは6人と小学生数名。
昔行われていた門打ちも復活させていきたいということです。
動画でどうぞ
