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2023.01.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

下大籠南部神楽「楠公 湊川の戦い」@2023第41回藤沢町子ども郷土芸能発表会

さて本日は、2023年1月15日に行なわれた第41回藤沢町子ども郷土芸能発表会から下大籠南部神楽で楠公 湊川の戦いです。

由来については定本より

「昭和八年、大津保村(大籠・津谷川・保呂羽)の村社下大籠神社の奉納神楽を組織することとし、宮城県栗原郡金城町(金成沢辺)より佐藤家に婿入りした佐藤清人が神楽師匠であったので、佐藤清人師匠の指導により佐藤司、佐藤重雄、須藤徳一、首藤義雄、同克巳、須藤薫、千葉哲治、沼倉豊等が舞手となって、下大籠神楽を創設した。
後佐藤司が庭元となり、花泉清水原の大門神楽の師匠を招いて指導を受け演目も多くなった。
初代庭元佐藤司、現在の庭元佐藤重雄は二代目である。」

ということです。現在の代表は佐藤智幸さんです。



この日は冒頭の挨拶にあるとおり子どもたちの上演ではなく大人による友情出演ということでした。
大籠地区にもかつては大籠小学校がありましたが閉校になり、地元のこどもたちの神楽参加も難しくなってきたようですが着実な取り組みを進めていくということです。

さて、演目は楠木正成と足利尊氏の戦の物語。
ストーリー的には中央勢力と奥州の末路と経過が似ているせいか、惻隠の心というべき観点で南部神楽でも人気のある演目といえました。

悲劇のヒーロー楠木正成

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その息子の楠正行

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戦の一方の足利尊氏 荒型で表現されているということは、敵方=悪役という設定になります。
南部神楽初期の神楽本で楠木正成がヒーロー扱いされるのは明治から昭和戦前の時代に、皇国史観に忠臣の誉れ高い武士であったことによります。戦前の修身の教科書にも取り扱われるほどでしたから。

その一方で悪役となった足利尊氏 戦前は天皇に矢を向ける逆賊という扱いでしたが

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そして湊川の戦いは、後醍醐天皇とその取り巻きのせいで窮地に陥った正成親子が自害することで終幕を終える

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この演目が今でも南部神楽で受け継がれているのは演目継承の意味だけではないような気がします。
楠木正成の人となりは、ゲリラ的戦法と清廉潔白な性格が源義経と相通ずる点が多いせいか東人にも人気が高いため南部神楽でも取り上げられることになったと思われる。

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動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2023.01.21 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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