渋民伊勢神楽「お上り、廻り曲 他」@2022第43回大東郷土芸能発表会
さて本日は、2022年12月18日に行なわれた第43回大東郷土芸能発表会から渋民伊勢神楽でお上り、廻り曲 他です。
渋民伊勢神楽の由来については「大東町の民俗芸能」より
「渋民伊勢神楽は大太鼓を交互にアヤ(両端に房を付けた撥)で叩いて踊る神楽で、これは二見ヶ浦から昇る太陽を太鼓に見立てて、アヤに祈りをこめて叩き遥拝することを意味する踊りである。
渋民伊勢神楽の発祥は記録がないが、約110年くらい前、小山文七郎、熊谷松治郎、の指導によって今日の原型が定着した。
それから菊池仁助、熊谷巻雄(熊谷松治郎長男)を代表とする時代を経過した後中断されていたものを昭和55年菊池昭二(菊池仁助長男)の指導を受けて渋民讃互会が復活させて今日に至っている。」
とあります。現在の保存会代表は佐藤幸一さんです。
隣接する丑石集落では文政八年に伊勢参りから帰った者達が伊勢神楽を持ち込んだという口承があり、その伝播とみることができると考える。
渋民伊勢神楽は一関市大東町渋民に鎮座する渋民八幡神社の秋季例祭に供奉する芸能でもあります。
祭りの様子は拙ブログ参照ください⇒渋民伊勢神楽 @ 一関市大東町 渋民八幡神社例祭
伊勢神楽は文字通り伊勢の太神楽を模倣して始まったと思いますが、太神楽の方には二本から六本までの綾撥を取り分ける(ジャグリングする)投げ物芸があります。
「日本太神楽事典」によると、曲芸の元祖で天の岩戸を開いた時に喜んで松明を投げ取りしたのが最初であり、そのため(撥の)先を赤く染めて松明の代わりとしていると説明している。
また太神楽では火焔撥の曲という松明を採り物としている芸もあるということです。
渋民伊勢保存会さんは20~40代を中心に20人くらいいて、祭りの際には幼稚園児から中学生も練習に参加しているそうです。
岩手県南部では、大人と子どもが階層になって芸能を構成するという形態は中々ありません。
そういった意味合いでも、この伊勢神楽は地域を繋ぐ大事な絆となっているようです。
動画でどうぞ
