狼ヶ志田神楽「牛若丸・弁慶五條の橋の巻」@2022第56回胆沢郷土芸能まつり
さて本日は、2022年10月30日に行なわれた第56回胆沢郷土芸能まつりから狼ヶ志田神楽で牛若丸・弁慶五條の橋の巻です。
その前に狼ヶ志田神楽の由来について定本より
「狼ヶ志田神楽は、文久元年神楽の祖、菅原甚太郎、菅原新右エ門、菅原今朝吉、小野寺長蔵等が、小山、中沢神楽の本庄板太郎より山伏神楽を伝授された。
明治二十五年十一月、菅原甚太郎が上昼沢佐藤家を通して達古袋と縁組をしたことから、西磐井郡萩荘村達古袋阿部徳太郎、小岩彦三郎両師匠より達古袋神楽を伝授された。
達古袋神楽は、達古袋に永住した羽黒山系山伏一七代元道常学院相模坊が指導したと言われる。
大正五年二の台、養ヶ森、大正八年恩俗、衣川雲南田等に狼ヶ志田神楽を伝授している。
明治二五年初代庭元菅原甚太郎より昭和四四年九代庭元青沼松男に引継がれている。」
現在の代表は高橋先雄さんです。
牛若丸は源義朝と常盤御前との間に末男として生まれ、父は平治の乱で平家方に殺された。
母常盤御前が平清盛の側室になることで、乙若、今若、牛若の兄弟は命を助けられ、その後7歳で牛若丸は鞍馬寺に預けられる。
東光坊阿閣梨のもと昼は仏道の修行をしながら、夜は密かに武芸の修行に励む。これは、父の仇を討ち再び源氏の御世にするためでした。
そして16歳の年ついに鞍馬寺を抜け出し、五條の橋で弁慶を臣下に従え金売り吉次の手引きにより、平家方になぴかない奥州平泉の藤原秀衡に対面し、平家追討そして源氏の御世とする決意を伝えるという場面です。
牛若丸です
武蔵坊弁慶です
弁慶と牛若丸が、五條の橋の上で剣戟を繰り広げ、牛若丸は鞍馬山で修行した法術を駆使して大男の弁慶を翻弄し、ついには弁慶の薙刀の上に乗って「命惜しくば名を名のれ」と一喝。弁慶は牛若丸の前に平伏すことになります。
そして、共に藤原秀衡の居城である平泉を指して旅立つことになるという話です。
動画でどうぞ
