fc2ブログ
2022.12.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

南沢神楽「安宅の関」@2022民俗芸能による祈りと絆

さて本日は、2022年11月5日に行なわれた民俗芸能による祈りと絆から南沢神楽で安宅の関です。

その前に、南沢神楽の由来について定本より

「明治初期、市野々に本郷神楽が組織され、市野々神楽の本流となったが昭和初期衰退した。
 昭和一五年、金野米右エ門が宮元になり、本郷神楽の千葉秀雄師匠を招き神楽の指導を受け、南沢神楽を創設した。戦前は蘇武運一郎師匠が、戦後は蘇武榮登師匠が指導に当り現在に到っている。
 初代宮元金野米右エ門、二代佐藤匡美、三代蘇武栄、四代蘇武秋男である。
 蘇武運一郎は神楽の師匠であると同時に神楽面師でもある。また、岩手県南宮城県北神楽大会の審査員を二○年にわたり勤め感謝状を授けている。」

とありますが、現在の代表は佐藤耕三さんです。



文治元年四月、一の谷、屋嶋と壇ノ浦の戦いで平家を壊滅した義経は、源氏方の梶原景時の讒言によって兄頼朝の追捕令を受ける身となり、もはや西国に居ることはできず、傷心の身を抱きながら、山伏姿に身を変えて懐かしの平泉をさして都を後にした。

源九郎義経です

20221105145426IMG_1276.jpg

武蔵坊弁慶です

20221105145810IMG_1278.jpg

山伏姿に身を装い北陸路を東国に下る義経主従が、安宅の関所にさしかかり、関守の富樫泰家に咎められる。

20221105150126IMG_1279.jpg

関守に義経主従と怪しまれ、疑いを晴らすため、弁慶が東大寺建立の勧進帳を空読みします。

尚も疑いの晴れぬ富樫は弁慶に修験山伏の問をかけます。
いわゆる山伏問答ですが、迫真の長いセリフが続きます。

20221105150512IMG_1287.jpg

富樫の家来が、剛力姿をしたもの判官殿によく似たりと進言したため富樫は義経の顔改めをします。

20221105150556IMG_1290.jpg

これに危機を覚えた弁慶が、涙を呑んで義経を未熟者めと強打します。
がしかし、主君を打ち据えるのは余りに無体と、押し留める富樫。

20221105150758IMG_1295.jpg

義経主従の正体を見破っていた富樫が武士の情けで通す場面です。
「天晴れなるぞよ弁慶殿。彼も人なら我も人、我も武士なら彼も武士、情けは人の為ならずとか。
判官殿に縄を掛けるのは易けれど、武士の情けの掛けどころ」

20221105150830IMG_1296.jpg

無事に関を通り抜けた義経と弁慶ですが、源氏再興を思いながらも命を落とした家来衆に思いを馳せ、平泉高館へと急ぎます。

20221105151340IMG_1302.jpg

動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2022.12.05 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

11 | 2022/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ