城生野神楽「屋島合戦、継信の最期」@2022三代目栗原神楽50周年+1記念公演
さて本日は、2022年11月6日に行なわれた三代目栗原神楽50周年+1記念公演から城生野神楽で屋島合戦、継信の最期です。
その前に、城生野神楽さんの由来について定本より
「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」
とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。
演目は屋島合戦から、義経主従と能登守教経勢が激戦を繰り広げ、源氏方の勝利に終わったが佐藤継信が命を落とすという悲劇の物語です。
源九郎義経
義経四天王の一人 佐藤三郎兵衛継信
その弟 四郎兵衛忠信
対するは、弓を取っては日本一といわれる平家方の大将能登守教経。
大将同士の戦いとなるも、継信が奮戦し主君義経を守らんと教経の矢面に立って勝負がつかず。
平家の武将童子菊王丸が節が近くて多い三年竹の管矢を能登守教経に手渡した。これこそが三の矢となる。
この日の菊王丸は小学6年生の伊藤楓くんです。
継信が、一ノ矢二ノ矢は素手で受け払い,三ノ矢も素手で払おうとしたが失敗 し,胸を射られ瀕死の重傷を負うのでした。
日が暮れて、義経は継信の姿が見えないことに気が付き、忠信に行方を探すよう命じます。
夕暮れとなった砂浜を探り歩く忠信に遠く微かに兄の声が聞こえます。
継信は今一度主君義経に会いたいと願います。
忠信は兄を背負って高松城へと向かいます。
主君と最期の対面をした継信は辞世の和歌を詠み息絶える
〽 東より 四国八島の磯に来て 君の命をここに継信
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