女川法印神楽「道祖」@2022第43回石巻地方神楽大会
さて本日は、2022年9月4日に行なわれた第43回石巻地方神楽大会から女川法印神楽で道祖です。
女川法印神楽の由来については東北歴史博物館研究紀要Ⅰより
「旧藩当時から女川飯田の大山祇神社高橋宮司が中心となって、戸倉や十三浜、河北町金谷方面の神職たちと組んで神楽を伝承していたという。現在は7人の地元の人達で保存会を結成して伝承している。胴も笛も心配ないという。時折は志津川の戸倉や雄勝、金谷長面尾崎の組とも交流しているようだ。他の神楽で廃曲となった演目も舞うことができると意欲的である。女川では「叢雲」と「国譲」は演じていないという。なお河北の皿貝へは以前に荒型の舞を指導したことがあるが、現在の舞型は既に女川の型ではなくなっているという。次の祭礼の他年間多い時で15回ほども演舞している。
10月29日 飯田大山祗神社、10月24日大須愛宕神社、10月17日松崎枚岡神社」
ということです。現在の神楽保存会長は佐藤喜美男さんです。
法印神楽では、昼神楽の初舞の演目を初矢と定めていますが、夜神楽の場合はこの道祖と決まっています。
(この地方では道祖(どそう)と呼ぶ)
これは猿田彦尊の舞で、神の道、地の道、人の道を正しく導くものとして最高の地舞とされています。
この道祖は又の名を「大場の下(だいじょうのげ)」とも称している。
三宝にのせた米を四方と天に向けて散供しつつ神諷を唱えて舞うので「播種の舞」ともいわれている。
(舞子)物毎に 起こるこころを払い見ば いづれの神か 障りあるべき
(胴取り)面白し 神遊び
(舞子)欽上再拝 かけまくも畏き当社御祭りなり
御神楽の起こりとは天岩戸のその昔 八百万の神など 高天ヶ原にて天照大神を鎮めたもうより
世々に伝え来て宮津古行い奉り 天津神国津神を鎮め奉り 太平国土安穏の御祭り事なり
以下略
そして、後半は太刀五請楽(たちごしょうらく)となりますが、これが前半部のネリ舞とは打って変わって、力強く邪気を祓う激しい舞となります。これが最後にくるために道祖の演目が変化に富んだ修験らしい神楽になっているのだと思います。
ところでこの日の舞は、特にも手次が心地よい程引き締まった所作で、とかく単調になりがちな地舞に緩急をしっかりとつけて、観る者を惹き付ける魅力がありました。
動画でどうぞ
