小田代神楽「地割舞」@2022第47回胆江神楽大会
さて本日は、2022年8月20日に行なわれた第47回胆江神楽大会から小田代神楽で地割舞です。
その前に小田代神楽さんの由来については定本より。
「明治二八年一○月、部落の氏神五十瀬神社に神楽を奉納するため、氏子総代の植田喜作が庭元となり、羽田の鴬沢神楽から師匠を招き指導を受け、小田代神楽を創設した。
初代庭元植田喜作、二代及川春治、三代及川清志四郎、四代~五代及川篤男である。」
とあります。初代の植田喜作が指導を受けたのは菅原金之丞とあるが、金之丞は千葉栄佐衛門とともに瀬台野神楽を立ち上げた人物であり、後年田原の蟹沢に婿入りして蟹沢神楽を創設し、周辺の地域にも神楽指導をした。
そして第六代目庭元は及川章さんです。
さて、地割舞は法印神楽由来の祈祷舞であるため、相当の体力を要することと、神楽の修練が十分にある必要があります。
幕だしは 〽 サンヤー 地割舞は 祓えサンヨー
遥に昔、天地の始まりは、天神七代イザナギ、イザナミの神天の浮橋に降り立ち、天の沼矛を漂う地上界に差し入れかき回し、引き上げるとその先から滴が垂れ落ち固まり島になりました。
その島をオノゴロ島といい、二人はその島に降り立ち、社を建て婚儀を行い、国産みが始まりました。
最初に八つの島が生まれ、これが日本の元、大八島と呼ばれるいわれです。
地神五代天孫降臨の折、大八島を六十四に地割をし、各々神々の守護と定めました。
瑞穂の国と呼ばれる元となる米蒔きから始まるめでたい祝いの舞であり、後段の面を取っての崩し舞は、扇舞で四方を清め、刀舞は衆生守りの祈祷舞い、神楽式舞裏四番に位置しています。
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