城生野神楽「屋島合戦 継信最期の場」@2022源義経公生誕祭
さて本日は、2022年7月18日に行なわれた源義経公生誕祭から城生野神楽で屋島合戦 継信最期の場です。
その前に、城生野神楽さんの由来について定本より
「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」
とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。
演目は屋島合戦から、義経主従と能登守教経が激戦を繰り広げ、源氏方の勝利に終わったが佐藤継信が命を落とすという悲劇の物語です。
戦が終わって、兄継信の姿が見えないことに気付いた弟忠信
源義経は継信を探せと忠信に命じます
夕暮れとなった砂浜を探り歩く忠信
すると胸板に管矢を受けた継信が呼びかけます
胴取さんの口説がかかります
〽 遠く微かに声がする 敵の管矢にかかるとは 情けもないぞよ 継信よ
兄継信を助け起こして管矢を引き抜き、これはどうしたことか兄上と呼びかける。
継信は今一度主君義経に会いたいと願います。
忠信は兄を背負って高松城へと向かいます。
弟忠信は、兄の末期を悔やみ、兄継信は主君と弟に形見を残すと言い渡す、愁嘆の場面です。
主君と最期の対面をした継信は辞世の和歌を詠みます
〽 東より 四国八島の磯に来て 君の命をここに継信
義経と忠信は、継信が彌陀の浄土に座るよう念仏を唱えて弔うのでした。
ちなみに、平家物語の継信最期の段には次のようにあります。
「別に何事をか思ひ置き候ふべき。さは候へども、君の御世に渡らせ給ふを見参らせずして、死に候ふこそ心に掛かり候へ。さ候はでは、弓矢取りは、敵の矢に当たつて死ぬること、本より期するところでこそ候へ。なかんづく源平の御合戦に、奥州の佐藤三郎兵衛継信と言ひけん者、讃岐の国屋島の磯にて、主の御命に代はりて、討たれたりなど、末代までの物語に、申されんこそ、今生の面目、冥途の思ひ出にて候へ」とて、ただ弱りにぞ弱りける。
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