幸田神楽「三韓」@2022第39回みちのく神楽大会
さて本日は、2022年7月3日に行なわれた第39回みちのく神楽大会から幸田神楽で三韓です。
ところで、昨日7月12日は幸田八雲神社の宵宮で、幸田神楽の奉納を見てきたばかり。
拝殿内での奉納提灯に照らされた神楽座での四番はお天王さんの祭りに相応しい雰囲気でした。
といったところで、幸田神楽の由来について
「幸田神楽は幸田地区に鎮座する八雲神社の奉納神楽である。「幸田神楽本」によれば、その由来について藤原秀衛の三男泉三郎忠衡は、平泉藤原氏滅亡の際落ち延びられ、此の地に隠れ住まわれた。 矢沢地域の灌漑用水を確保するために幸田川を塞ぎ止めて、溜池を築く工事をはじめたのであるが思うように工事が進まず思案の末、忠衡公が信仰している、祇園牛頭天王(八雲神社の祭神)を祀りて工事の無事完成を祈って神楽を奉納した。
また昔、幸田川には上と下に二つの大きな沼がありこの沼には、それぞれ、主(化け物)が住んでいた。この沼を埋め、田を作り堤を作った為に、主達は住みかを失い、その怒りを鎮めるために、堤の西北(乾)方に神楽場を定め神楽を奉納したところ、主達の怒りが鎮まり平和が戻ったといわれ、それ以来毎年神楽場で神楽を奉納したとあり、古い時代からこの地に神楽が存在していることを語っている。その後、天保年間に早池峰岳神楽を習得して現在に至る」ということです。
三韓とは、現在の朝鮮半島南部、1世紀から5世紀にかけて任那と呼ばれていた地域です。
古代において、ここを舞台に戦が起こります。
ヤマトの国の大王(仲哀天皇の后 神功皇后)が覇権を主張するために出兵した地域です。
ですので、この三韓の舞はその物語を語り聞かせるシナリオとなっています。
幕出し唄 〽ヨーホー 神垣ヤー
神功皇后が鳥兜を被り、袖に両腕を通して一直に伸ばしながら舞います。
この舞い型は天照五穀等の女舞にも見られますが、神々しい中にも女性的な華やかな舞を見る感じがします。
そこへ神功皇后の詔勅に応じて武内宿禰が出ます。
武内宿禰の幕出し 〽 センヤー 幣立つる
武内宿禰が出ると三韓征伐の所以を語る舎文となる
神功皇后
「応 吾はこれ神功皇后なり。天の大神の詔勅により、これより未申にあたって、新羅百済高麗の国あり。彼の国こそ、ね無き悪鬼あまた集まりて、吾が朝までも魔国にせんと暴悪をなしける。これによりて、汝武内宿禰自ら守護し、退治すべし」
武内宿禰
「応、新羅百済高麗の国には、数万里の海上にて人々の通うこと難なるべし。御神託によって住吉大明神へ祈誓をかけ、悪鬼魍魎を平らげ、天が下穏やかの政をなし給え」
と、これより悪鬼退治になりますが、大償神楽系統では舞台は常陸国鹿島に神々が集結して神諮りをする内容になっています。
三韓征伐するにあたり、武備が不足しているため安藤部磯等に命じて干珠満珠の宝を借りだして三韓の兵を海中に沈めたということです。
この説話は太平記に記述が見え、阿度部(あとべの)磯良は九州志賀島の志賀海神社(福岡市)の祭神であり、海人族安曇氏の祖先とされるので、神功皇后軍が対馬海峡を進軍する際に貢献した様を伝える。
そこへ三韓の民の象徴である道化面のものが出て、武内宿禰と闘いますがあっけなく退場
次にタイヤ鬼と呼ばれる神が武内宿禰の前に出現し闘いを挑みます。
そして神功皇后の神力で平定した後、面を外して千代御神楽くずし舞です。
〽 悪鬼悪霊を鎮めたり 疾々出て神遊びし給え
動画でどうぞ
