八木巻神楽「裏八幡舞」@2022第39回みちのく神楽大会
さて本日は、2022年7月3日に行なわれた第39回みちのく神楽大会から八木巻神楽で裏八幡舞です。
その前に、八木巻神楽の由来について
「八木巻神楽は、享禄4年(1531年)、村内の人々が諸霊地を巡拝しておりましたが、紀の国熊野三所大権現より御分霊をいただき、同年に帰郷されてから神社が建立されました。
それから30年ほど経過した永禄7年(1564年)が、八木巻神楽の始まりと伝えられています。
神楽を招いた家には、疫病が入らないという言い伝えにより、大いに招待されました。
しかし、江戸時代の三大飢饉により活動の休止、縮小をせざるを得ない時期もありましたが、昭和7年(1932年)に熊野大権現を八雲神社と改め、旭の又神楽から支援を受けて復活しました。
八木巻神楽は、7拍子で大償神楽流に近い神楽と言われています。」ということのようです。
2020年4月には岩手県の無形文化財に指定されました。
昭和7年に熊野大権現から八雲神社に改めたとありますが、その経過を神楽幕に残している。
さて、裏八幡舞ですが、別名は四人八幡舞。
表式六番の八幡舞に対しての裏式六番の八幡舞であります。(八幡舞の裏舞を尊揃としているところもある)
この四神は、品陀和気命(応神天皇)と住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)としており、四方鎮護、悪魔降伏、七難即滅、家内安全の祈祷舞としている。
前半の舞が終わって舎文がかかる
〽 さらさらと天降り給う あやに坐す
いろよきを 高麗の権者 おもしろし
以下は八木巻神楽独特の謡舎文がかかりますが、これは諸難消除の呪言を取り入れたものと推量される。
いずれにせよ、八木巻神楽は古い時代に早池峰神楽を習い、そのままの形で今日まで集落に受け継いだことにより、現在に於いても伝承元の芸態や装束の形を遺している。
ある意味で岳や大償よりも貴重な神楽といえます。
動画でどうぞ
