長下田神楽「高野山物語より石童丸」@2022第16回神楽共演石越大会
さて本日は、2022年6月12日に行なわれた第16回神楽共演石越大会から長下田神楽で高野山物語より石童丸です。
その前に、長下田神楽の由来について
「明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。」
とあります。現在の代表は千葉忠行さんです。
神楽の冒頭で尺八をバックに石童丸物語のナレーションが入りました。これも一興です。
「八百余年の昔、九州は筑紫、筑前、肥前、肥後、薩摩、大隅六ヶ国の守護職をつかさどる加藤左工門繁氏は、花見の酒宴の折、酒杯に散り落ちてきた桜の花びらを見て、(生あるものは必ず死に帰す。人生の無常ということを知らずに、栄華をほしいままにしている自分)を感じ、仏門に入るとて出家してしまう。
後に残された妻、千里の前の胎内には、すでに石童丸が宿されていた。
時過ぎて早や14年、山遊びに出た石童丸は、巣の雛鳥に餌を運ぶ鶯を見て、「鳥畜類にさえも両親様がおるのに、何故におのれの父はない」と母に迫る。
母千里の前です。
「汝も父を慕うかよ。この母とても同じこと・・・と、二人連れ立って高野山に向かう。目指す高野山に来てみれば「女人門に入るべからす」の高札。母をふもとの学文路の宿に休ませ、石童丸は一人高野山に、刈萱道心と名乗るまだ見ぬ父を尋ねて登る。
三千有余の寺防ある高野山中を父を求めて登ると、山を降りてきた和尚様に出会う。
名乗りを上げてわが父繁氏を知らぬかと問うと、和尚様は顔をそむけ涙を流す。
それもそのはず、今は刈萱道心とて仏門に仕える繁氏本人であつた。
だが、仏門に捧げたわが身、心を取り直した刈萱は、「汝の父は去年の秋、不浄の風に誘われて今はこの世の人でなし。」と偽り、
父の墓所に誘う。墓の前で泣き崩れる石童丸を論し、母の待つふもとの宿に帰らせる場面。
動画でどうぞ
