鶯沢神楽「那須の与一 扇の的」@2022第16回神楽共演石越大会
さて本日は、2022年6月12日に行なわれた第16回神楽共演石越大会から鶯沢神楽で那須の与一扇の的です。
その前に、鶯沢神楽の由来について定本より
「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創設した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者養成講習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」
ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。
さて、演目の扇の的は鶯沢神楽保存会発足時の会長である岸湊氏の名作です。
平家を追討して屋島に渡った義経軍は沖に停泊する平家軍を眺めつつ「今日は日暮れぬ。勝負を決すべからず」と語ったのは平家物語の一節です。
そこへ平家方から一艘の舟が女官を乗せて義経軍の陣立てする浜の沖に止めて日の丸の扇をかざします。
義経は部下を呼び寄せあの扇の的の意味は如何にと問います。
あの扇は戦の運試しに違いないので、必ず射落とせる者を呼び寄せよと命じます。
そして呼び寄せられたのが弓上手で聞こえた下野国の住人、那須太郎資高の子、与一宗高です。
風強く波高い中で、波間に浮かぶ小舟の上の的を射るなど至難の業。
仕損じては末代までの恥と思い、何としても的中すべく神仏に祈ることにします。
与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの扇のまん中射させて賜ばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面を向かふべからず。
いま一度本国へ迎へんとおぼし召さば、この矢はづさせたまふな」と心の内に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。」
そしてビシッと射た鏑矢は見事扇の要を射落とします。
↓ このへんを矢が飛んでます そして本当に命中します!
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