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2022.05.09 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

赤谷神楽「源氏の勢揃い」@2022平泉熊野三社奉納公演

さて本日は、2022年5月3日に行なわれた平泉熊野三社奉納公演から赤谷神楽で源氏の勢揃いです。

赤谷神楽の由来について

「明治二六年、鈴木築吉が庭元となり岩手県西磐井郡花泉町、上油田神楽の佐藤和三郎師匠の指導により、橋向神楽を創設する。
昭和二六年、工藤文市が庭元となり内容の充実を図り、赤谷神楽と改称した。
初代庭元鈴木蕊吉、現在の庭元工藤貞夫は五代目である。」

ということなそうです。現在の代表は工藤智徳さんです。



源氏の再興をはかる源義経は,奥州平泉,藤原秀衡公を頼る。 秀衡公の家臣, 佐藤庄司基治殿を訪ねた義経は「おごる平家を討って, 源氏再興を謀るには,己一人にては叶まじ。汝が倅に,継信忠信とて千本の矢太刀をくぐる強者がおると聞く。兄なりとも,又弟なりとも我 に伴を頼むなり。」と依頼する。

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佐藤庄司基治は、奥州藤原氏の家臣で、奥州信夫郡(現在の福島県福島市飯坂地区)に勢力を張り大鳥城を築いた。
義経に従い鎌倉に赴く二人の子どもを見送り、別れる際に「二人の子どもがその忠節を全うするなら根付け。そうでなければ枯れよ」といって地面に杖を挿したが、立派に成長し見事な桜が咲いたという。これを庄司戻しの桜と伝えている。

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義経は気が引けたのか、佐藤庄司に二人の息子のうち、佐藤家の跡が絶えぬように一人のみ戦に借り申したいと言い出したことから兄弟喧嘩が始まります。。
稀代の勇将の家来になるのは自分だと言いはり、お互いに譲りません。

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そこへ父庄司は、お前ら二人共義経様に従軍せよと命じる。
実は、ここからのセリフが泣かせるところとなっている。
父庄司は常の習いとして「一の矢、二の矢は簡単に防げても、三の矢は必ず管矢がくるので、小太刀を抜いてこれを打ち落とすべし」と言い聞かせます。
しかし、結果として後日に屋島の合戦で継信は能登守教経が放った管矢で命を落とすことになります。
演目「継信の最期」でも弟忠信がこの時の父の忠告を思い出して兄継信に語りかけます。
ここが涙を誘う場面となっています。
これを能の演目に例えて言えば負修羅となります。

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かくて継信忠信兄弟は葦毛と栗毛の駒にまたがり,義経公に遅れじ と四国の屋島にと向かう場面です。

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動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2022.05.09 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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