蓬田神楽「鶏舞」@2022舞川地区郷土芸能合同演舞会
さて本日は、2022年4月24日に行なわれた舞川地区郷土芸能合同演舞会から蓬田神楽で鶏舞です。
その前に蓬田神楽の由来について南部神楽の系譜より
「舞草神社は一時期舞草穴倉地内に社地があった頃、神職が大権院神楽を奉納していた。
当時の神楽の師匠は、穴の倉の佐藤円吉、次いで蓬田大助であった。
明治初期、蓬田一族の氏神天神様に神楽を奉納するため、蓬田大助が庭元となり、東磐井郡長島村南部神楽の流れをくむ赤伏神楽の指導を受け、蓬田神楽を創設した。
初代庭元蓬田大助、二代伊藤寅之助、三代蓬田清吉、四代佐藤松治、五代蓬田稔である。」
とあります。
その蓬田稔さんの近況について伺ったところ体調を崩して入院されているとのことでした。早期快癒を祈ります。
さて、蓬田神楽の上演を拝見するのは2年ぶりぐらいになるが、舞手のメンバーも新しくなっています。
神楽の舞手も地元ばかりでなく、広く門戸を開いて継承に力をいれているようでした。
この日は、会場である一関文化伝承館のスタッフも鶏舞を練習して臨んだということです。
ところで、この日の神楽幕は古い由緒のあるものです。
詳しいことは2014年9月10日の拙ブログ⇒「稲倉山神楽と大権院神楽」に書きましたが、蓬田神楽の源流ともいえる穴倉の大権院神楽にまつわる幕です。
幕の中に吉田殿の御詠歌として「美ち奥の稲倉山の小狭米(おさめよね)くらの御玉と祈る舞草」と記されてあります。
これは、蓬田神楽の由来書に「穴倉の大権院の後裔の家には、京の吉田家より許可された菊の紋所の幕があるよし、現在使用の舞台幕には吉田殿の左の御詠歌を染め抜いている。」とあることから大権現神楽の系譜を引いていることを示しているものと思われる。
この鶏舞にしても、笹谷流の型を残していることなど貴重なものです。所作に雅やかさと重みを感じさせます。
動画でどうぞ
