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2022.03.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

赤谷神楽「源平討魔伝より屋島の合戦」@2022金成延年閣南部神楽公演

さて本日は、2022年3月20日に行なわれた金成延年閣南部神楽公演から赤谷神楽で源平討魔伝より屋島の合戦です。

赤谷神楽の由来について

「明治二六年、鈴木築吉が庭元となり岩手県西磐井郡花泉町、上油田神楽の佐藤和三郎師匠の指導により、橋向神楽を創設する。
昭和二六年、工藤文市が庭元となり内容の充実を図り、赤谷神楽と改称した。
初代庭元鈴木蕊吉、現在の庭元工藤貞夫は五代目である。」

ということなそうです。現在の代表は工藤智徳さんです。



風の便りに,兄源頼朝が平家追討の為,旗揚げすると聞いた源九郎義経は,藤原秀衡の家臣である佐藤庄司基治の二人の子供,兄の佐藤三郎兵衛継信と弟の佐藤四郎兵衛忠信の兄弟を供に,四国は屋島に向かい ます。

それを聞いた平家方の大将能登守教経は家臣である平維盛、平経盛を呼び寄せ陣屋を固く守れと檄を飛とばします。

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屋島ヶ浦に着いた源九郎義経

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対するは、弓を取っては日本一といわれる平家方の大将能登守教経 大将同士の戦いとなります。

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そこに源九郎義経の臣下となった奥州平泉,佐藤三郎兵衛継信と佐藤四郎兵衛忠信の兄弟が加勢に入り義経の身を守るため兄の継信は能登守の放つ矢先に立って応戦します。

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平家の武将童子菊王丸が節が近くて多い三年竹の管矢を能登守教経に手渡した。これこそが三の矢となる。

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一ノ矢二,矢は素手で受け払い,三ノ矢も素手で払おうとしたが失敗 し,胸を射られ瀕死の重傷を負うのでした。

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弟忠信は兄の仇と菊王丸を討ち負かし,そして平家の大将能登守教経 に戦いを挑みます。時が経つにつれ能登守教経は戦況が悪くなって来た のを見て平家の陣屋に逃げ込みます。

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忠信は能登守教経を追いかけて平家の本陣に乗り込み,戦いを挑む場面です。

登場人物の多い大迫力の一幕でした。

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動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2022.03.22 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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