向川原虎舞@2021三陸御社地天満宮竣工祭
さて本日は、2021年11月20日に行なわれた三陸御社地天満宮竣工祭から向川原虎舞です。
震災前の御社地公園は、町役場前広場に円形の小さな池と、その回りに石碑や松があるばかりで、憩いの場という感じでも無かったように記憶している。
しかしながら、その場所に鎮座していた天満宮の鳥居や社が津波で流失。
そこで再建を期して住民有志による「御社地天満宮奉賛会」を立ち上げ、建立資金を集めて完成し、この度竣工祭を迎えたということです。
震災後に設置された看板に説明があります
「御社地は、昭和63年に大槌町の史跡に指定されました。この地の由来については、江戸時代中期に宗教・学問を通じて、大槌町の教民教化に勤しんだ仏教家・菊池祖睛(1729年~1806年)が、諸国遍歴の修行の際に九州大宰府に至り、天神社の分霊を捧持して帰り、天満宮として祀ったところから御社地と名付けられ、その庵を東梅社観旭庵と称し、仏道精進の場にしたとされています。後に祖睛は地内に入定し、「妙法蓮華経」と刻んだ石を墓標としました。」
ということで、竣工の祝いとして餅まきや地元芸能の奉納がありました。
奉納は向川原虎舞から始まりまりました。
向川原虎舞の由来について「大槌町の郷土芸能」より
昭和25年戦後の荒廃した社会の中で、郷土芸能を通じて青少年の育成を図ろうと初代会長佐々木重夫氏を中心に向川原地域の青年会活動の一環として取り入れたのが始まりである。
当時見様見真似の単純な踊りであったが数年後に鵜住居青年会との交流の中で踊り囃子の教えを受けたものが現在の踊りの原型になった。
その後、高度経済成長期に若者が地元を離れるようになり、思うような活動ができない時期もあった。
そこで今より十数年前、釜石市鵜住居青年会の岩鼻節雄氏に再度囃子の指導を受けて活性化を図ったのが現在の向川原虎舞の囃子です。
また、最近では鵜住居青年会との交流を深め、技の向上を目指しております。
ということです。
東日本大震災の津波で山車等を流失したが、日本財団などの支援を受け約700万円掛けて再建した。
2012年9月16日には山車を保管していた倉庫跡で神事が行われ、3代目会長佐々木修一さんはじめ津波で犠牲になった関係者5人を追悼するということで山車の前で勇壮な虎舞を奉納したということです。
伝承されている演目としては、通り囃子、矢車
最後は甚句で舞納めます
動画でどうぞ
