奥野流富士麓行山鹿踊「一の庭」@2021奥州市郷土芸能の祭典
さて本日は、2021年11月28日に行なわれた奥州市郷土芸能の祭典から奥野流富士麓行山鹿踊で一の庭です。
由来について
富士麓行山流というのは、富士麓行山獅子踊之秘巻によれば、慶安二年(1649)七月に、駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山の踊りを小川利春に、流行山の踊りを青田利久に、そして源行山の踊りを石亀利具に伝授した。
そして仙台領本吉郡水戸部村の伊藤伴内持遠が行山流を広く伝授し、その弟子・入谷村の四郎兵衛から伊達領内に伝承されたものの内の一系統になる。
奥野流富士麓行山鹿踊は、佐倉河鹿踊あるいは栃の木鹿踊ともいい、金ケ崎町千貫石からの流れとしている。
伝承元の千貫石鹿踊には踊り師匠の宮舘治郎左衛門(亨保年間の顕彰碑あり)から永徳寺鹿踊を経て金ケ崎町北方鹿踊とともに佐倉河へと伝えられた。嘉永2年(1849)の鹿踊供養碑が残されている。
胆沢の都鳥とともに鹿頭が大きくササラも長大であることから、踊りの方は荘重で能舞の如しと言われ、足の型も足裏を見せない踊りとなっているという。
装束は、袴が市松模様と一川(富士麓流の創始者飛鳥川常利が一番弟子に伝えたのが一川といわれる)
中立と雌鹿の流しに「富士麓行山流 五穀成就」の文字と稲穂が染め抜かれている。
踊りは大きく分けて3つの型があり、「三光の舞」は日天月天星天の三光をかたどり、厳粛な際に踊る。「礼舞」は入り込み前の儀礼として踊る。「役踊り」は八人組の踊りの三人狂い、鉄砲踊り、案山子踊り、三人鹿島、雌鹿隠しなど。このうち、案山子踊りでは中立ちの口が開いて案山子の笠を加えるという特徴がある。
ここ数年は踊り手不足などにより公演の機会がなかったが、今年の4月に同地区の経験者などが集結し、新たな庭元のもと新体制でスタートした。
旧水沢市では伊藤流行山鹿踊とともに貴重な鹿踊団体ですので、今後も継続発展してゆくことを願います。
動画でどうぞ
