達古袋神楽「葛の葉子別れの場」@2021復興祈念大島公演
さて本日は、2021年12月18日に行なわれた復興祈念大島公演から達古袋神楽で葛の葉子別れの場です。
その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。
泉州は住吉の里に住まいをなす、安倍の保名と葛の葉は長々の契りを結び、童子丸をもうけました。
とある日、庭に咲く菊の花に見とれているうちに元の姿の狐に戻ったところを童子丸に見られて泣かれていま居ます。
それを儚んだ葛の葉は、泣く泣く童子丸を置いて信田ヶ森に一人帰る決心をし、保名にあてて1通の手紙を書きます。
さらに夫である保名にあてて別れの歌を一首障子にしたためます。
これが、行書を普通に筆で書くのも難しいのですが、南部神楽ではいろいろな手で書きます。
これは伊勢神楽などでも余芸としてつたえられています。
障子に書いた別れの一首 「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信田が森の 浦見葛の葉」
さて安倍保名が家に帰ると、そこには赤児が一人寝ています。
不審に思って家の中を眺めると障子に一首の歌が書かれていて、その歌を判じた保名は信田が森にと急ぎます。
眠る童子丸を抱えた保名が葛の葉姫を呼ぶと、葛の葉姫は狐の姿で現れます。
保名は、狐の姿ではこの子が驚くであろう、元の姿になってくれと頼みます。
保名が戻ってきてほしいと頼みますが、葛の葉は狐の身であるため添われぬと、我が子への形見に「悟りの玉」を保名に託すのでした。
「これは天地日月人間世界のあらゆることを見通すことのできる玉なれば、必ず人の役に立つ人間になってくでさい」と
動画でどうぞ
