富沢神楽「皆鶴姫、閖上浜漂着の場」@2021復興祈念大島公演
さて本日は、2021年12月18日に行なわれた復興祈念大島公演から富沢神楽で皆鶴姫、閖上浜漂着の場です。
富沢神楽の由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
さて演目の皆鶴姫です。
この演目はご当地気仙沼と深い関係があり、念願かなって気仙沼で上演できたということでしょうか。
皆鶴姫と気仙沼の由縁についてはつぎのとおり
義経が京都・鞍馬山で修業をしていた頃のこと。義経に想いを寄せる皆鶴姫が、義経のために父・鬼一法眼のもとから中国伝来の兵法書を盗み出した。義経が奥州へ出奔した後、そのことを知った鬼一法眼は皆鶴姫を罰するため舟に乗せて海に流したという。その舟が流れついたのが、気仙沼市松崎前浜の母体田海岸。夢のお告げでそれを知った義経は、姫の遺骨と観音像を見つけだし、平泉と気仙沼の中間に観音寺を建てて祀ったという。いまでは観音寺は気仙沼市本町に移り、皆鶴姫伝説とともに、義経が使っていた笈が伝えられ、境内には弁慶袈裟掛けの石も残っている。また気仙沼市内には、観音寺と母体田の高台に観音堂が建てられ、皆鶴姫の霊が祀られている。
ということで、一関市室根の皆鶴姫神社には皆鶴姫の神像が奉られているということです。
神楽の内容は道化仕立の漁師2人の登場から始まります。
気仙沼前の沖で漁をしていたところ、投網に虚舟が掛かり、調べてみれば鼻耳を削ぎ落とされた姫君が載せられていたので助け出した。
助け出した姫君が、源義経に会いたいと願ったが衰弱した体では平泉までは行けないと諦め、漁師に義経へ宛てた書状を託すのでした。
源氏再興のために四国の鬼一法眼から取り戻した八十四巻の兵法書「多神通虎の巻物」を平泉の藤原秀衡公に報告する源義経主従
そこへ漁師が手紙を携えて秀衡のもとへやって来る。
皆鶴姫の手紙を受け取った義経は、皆鶴姫の切々たる心情を書き留めた手紙を読むや涙する。
動画でどうぞ
