金ケ崎神社を訪れた菅江真澄そして諏訪八景
さて本日は金ケ崎神社遷座祭からのつながりで、諏訪八景についてです。
金ケ崎神社は明治以前は諏訪神社と称していた。
古来より諏訪神社境内の東方の眺望は景勝の地として有名であり、眼下に北上川が滔々と流れ、遥か向こうには国見山などが望める場所で、多くの旅人歌人が訪れ歌を詠んできたという。
菅江真澄がこの諏訪神社を訪れたのは天明5年10月25日(1785)ということで、その際に「陸奥国膽澤郡須輪神社法楽八景和歌」を詠んでいる。
境内から東方に広がる景色を近江八景になぞらえて「釜淵の夜雨、片岡の夕照、北上川の帰帆、三箇尻の落雁、三五岳の秋月、八王子の晴嵐、早池峰の暮雪、国見山の晩鐘」として奉納した。
菅江真澄直筆の「陸奥国膽澤郡須輪神社法楽八景和歌」が金ケ崎神社宮司家に代々伝わっている。
このことについて奇しくも本日付け胆江日日新聞「真澄今昔」という連載記事に詳しく掲載された。
千葉周秋さんによると、菅江真澄に諏訪神社を案内し諏訪八景の和歌を詠むことを依頼したのが別当の羯摩院行光だったという。
修験者羯摩院、益々調べてみたくなった。
