一関に伝承されていた赤荻高砂人形芝居
さて本日は、現在一関市民俗資料館での企画展「赤荻高砂人形芝居」に行ってきたので、一関市に伝わっていた赤荻高砂人形芝居についてです。
由来については「一関市文化財調査報告書」(昭和43年発行)などより
「明治の末頃、上衣川の木地師、秋田生まれの佐藤徳美という人が、祭文・芝居・人形芝居等芸能をもった人で、その人が厳
美の奥地、市野原に永住した。
冬の長い土地の人たちは、その人の影響でいろいろの芸をたしなんだ。現在赤荻で人形芝居を保持している、佐藤清氏の兄
が人形芝居をやり始めたが早世したので、弟がその後を継いだ。
当時人形芝居も人気があって、胆沢方面から宮城県北までまわった。その後芝居が流行したのでそれに転向した。やがて年代
を経過しているうちに、不況時代となり昭和十年頃から約十年間郷土をはなれたが、終戦後昭和二十一年に赤荻 (現在地)に
落着くようになってから、同志をつのて人形芝居を、ここで始めることになって、人形、道具類等一切を新調し、稽古を励んで、翌二十二年に初公開をした。その後地方に広く知られ、今は老人クラブ や子供会から招かれ、各地に出演しているという。」
しかしながら,現在はその継承活動は休止状態であり、人形や小道具などが保存されている。
舞台は間口一間半、奥行一間半位に幕や背景などを取り付けて出しものによって趣向を変えていた。
(画像は「一関地方の民俗芸能」より)
外題は歌舞伎などから引いたものが多く、石川五右衛門、国定忠治、義士銘々伝、鬼神お松、夏目段上広三郎、大阪城内五右衛門乱入の場、安珍清姫、天神の場、豊川御利生記 など
(画像は「一関地方の民俗芸能」より)
活動は昭和30年代が最盛期であったが、平成13年に伝承者の阿部幸一が亡くなると上演が難しくなった。
平成9年3月に一関市文化センター主催の民俗芸能展において人形を出展、その後市の活動助成を受けて平成11年まで保存整備事業を行い、台本の翻刻を手掛けた。
この時に同事業に参加した人が数名いて、今回の展示でも伝承の様子について伝えている。
赤荻高砂人形は秋田県の猿倉人形芝居の流れといわれていて、確かに人形の形態などを見るとよく似ている。
発祥当時の栗駒周辺では硫黄が採掘されていて、そこへは秋田や岩手から出稼ぎにきている人が多く、そこでの交流が盛んだったことも伝播の要因としてある。
余談ですが、下の写真に写っている幕には「一関デパート協会」とある。
東光デパート、千葉久、ふくはら、相川屋 懐かしい名前が並んでいます。今でも建物だけは残っていますね。
令和2年に岩手県立博物館においてのテーマ展「岩手操り人形」で赤荻高砂人形も展示されて広くその存在が知られた。
今後は、人形や小道具などの保管と、芸能の伝承について再検討していくものと思われますが、是非残していってほしいものと思います。
