上根子神楽が「おでのさん」で天王舞を修する
さて本日は、2021年7月23日に花巻市上根子熊堂鎮座の熊野神社天王祭から上根子神楽が奉納した天王舞についてです。
ここ熊野神社の境内には8世紀頃に蝦夷の墓とされる熊堂古墳群があり、古式縁しい神域としての雰囲気がある。
そこに建つ熊野神社の境内に、万延元年造立と見られる天王の石碑があり、この前にて年毎に天王祭、通称「おでのさん」が斎行されてきた。
例年であれば、地元講中の皆さんで賑やかに祭礼を行うところですが、今年もコロナ禍で縮小しての開催
それでも宮司さんの計らいで神事後の直会は外で神楽を見ながらワンカップでということになったようです。
これでも皆さん、お祭り気分でそれなりに盛り上がりました。
さて、上根子神楽の天王舞です。
その前に上根子神楽の由来について
「明治3年の神楽本が伝承されているので、幕末期よりと言える。
北東北特有の山伏神楽の中でも、岳・大償系・黒森系など他の山伏神楽とは違う流れるような優雅な舞振りを基調とし、法印色の強い円万寺系神楽の特徴を色濃く伝えています。平成15年3月花巻市無形文化財指定。本拠である熊野神社では6月25日の例大祭の他、元旦祭奉納、2月の春祈祷の門付け等を行なっている。」
ということです。
円満寺系というのは神楽幕を見てもわかるとおり、二重の幕が神仏混淆を表している
天王舞の天王とは牛頭天王のことで、本来は武塔神であったものが神楽においては習合した形で演出されているものです。
牛頭天王が幕より出て印を結びながら一舞
そこへ蘇民将来が出て舎文がかかる 事の次第は
国の神武塔神が妻女を得るため南海をさして旅をする途中で、宿を乞うたを裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。
そして、武塔神が南海まで八万里ある旅をしていることを述べると、蘇民将来は「君未だ三万里にも及ばず。さらば数万里を走る寶船を君に奉らん」と助言します
武塔神が無事に南海国に着き、頗梨采女と結ばれて8人の息子を産んで国に帰る途中で再び蘇民将来に会います。
そこへ巨旦将来が戦を仕掛けて来ます。
神戦ですが、巨旦将来は道化面の姿で、杓文字やヘラやお玉で頗梨采女の息子たちと戦いを演じます。
巨旦将来は、ついでに境内を走り回って観衆にちょっかいをかけます。
これも「お約束」どおりです
そしてめでたく巨旦退治ができたところで、面を外しての崩し舞です。
上根子神楽では、今回の上演で神楽初演の方もいたということです。
上根子神楽さんのこれからの活躍にも目が離せません!
動画でどうぞ
