平倉神楽「松迎」@2021遠野南部神社郷土芸能共演会
さて本日からは、2021年5月4日に行なわれた遠野南部神社郷土芸能共演会についてです。
遠野南部神社の春祭りは例年5月3日~4日に行われるもので、初日は昼頃から神輿が出御して氏子町内を巡り、宵宮祭では夜神楽奉納(18:00)があります。あくる日は例大祭が斎行され、その後に境内にて盛大な神賑の郷土芸能共演会(12:30)が行われるというものです。
この南部神社の創建は新しく、明治9年に明治天皇が東北地方を巡幸した際、遠野南部家の書物や宝物をご覧になり、保存料を賜ったことをきっかけに、地元の有志が発起し、明治14年に神社の創立を計画し、翌年に遠野南部家4代から8代(勤王五世)を祀る「鍋倉神社」を創立したものという。後に社名と祭神が一致しないとの理由で神社局に申し出て「南部神社」と改めた。
共演会に先立って宮司より挨拶、例大祭に奉納する神楽、獅子踊りは当社の役神楽、役獅子であることを紹介し、自慢の種であると称賛しておりました。
さて、最初は平倉神楽で松迎です。
平倉神楽の由来については「遠野の民俗芸能」等より
「明治34年旧宮守村塚沢の塚沢神楽から二代にわたって指導を受け、その時、神楽幕及び権現様をいただいている。
戦時中に中断していたが、昭和30年頃からは神社での神事のみ行った。昭和60年ごろに小学生のシンガクを復活させ八幡宮例祭等に参加するようになった。
平成12年から岳神楽の直系である石鳩岡神楽から一ノ倉保氏を招いて指導を得、本格的な幕神楽の練習を開始して今に至る。」
とあります。
山伏神楽ではこの松迎は式舞のうちの翁の裏舞となっています。
千秋萬歳の兄弟が相舞をし、五葉の松のいわれを解きながら祝言を述べるというものです。
本田安次著「山伏神楽・番楽」から引くと鎌倉時代の口語辞書である名語記の中に
「千秋萬歳とて、このごろ正月には散所の乞食法師が、仙人の装束をまなびて、小松を手に捧げて推参して、様々の祝言を言い続けて禄物にあづかるも、この初子日の祝いなり」とあるとおり、古い型を伝えていると思われます。
ちなみに黒森神楽では若男二人による颯爽とした舞になっております。
ネリが終わると、千秋萬歳のいわれをとく舎文となります。
「これ丹後の国、ねのべの長者の二人の子に、兄をば千秋や、弟をば萬歳と言いしもの、さても千秋萬歳こそ兄弟な、同じ心となり、父の仰せに従うて、たちまち徳を申さんと、ねのべの雪なれば花を盛に身をしのぶ。なに舊苔で髭を洗えば、われ二人な手を合わせ、天下を禮し奉る。天下泰平のことなれば、とかくはこれに歳を経て、さらば床几へ掛けばやと存じ候・・・」
そして幕内と胴前が掛け合いで五葉の松の由来をときます
「五葉といっば五つの枝
東に向かうるその枝は 春を迎えて花よまつ
南に向かうるその枝は 夏を迎えてこごよ松
西に向かうるその枝は 秋を迎えて葉をそむる
北に向かうるその枝は 冬を迎えて雪よまつ
中なる枝はしょせいの枝 両方こふれば高けれど、君とも父ともたとへたり。あら有り難や有り難や、きんめいきんじょの風吹けど、風は吹きかねてきのえどひく」
これより面を外してくずし舞となります。
動画でどうぞ
