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2021.05.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

仰山流笹崎鹿踊@2021大船渡碁石海岸観光祭

さて本日は、2021年5月3日に行なわれた大船渡碁石海岸観光祭から仰山流笹崎鹿踊です。

本当に久しぶりに見る笹崎鹿踊でした。
2019年の加茂神社式年大祭以来です。


笹崎鹿踊の由来については森口本「岩手県民俗芸能誌」より抜粋

「大船渡市教育研究所編「郷土資料調査」第一集によると、明和五年八月九日、日頃市村坂本沢屋敷の理惣太なる者が陸前本吉郡南方清水川村(現志津川町)中左屋敷の弥惣次という人から七代の相伝を受け、大船渡町笹崎大草嶺家の婿養子となり、初めて同部落に伝えた。
その後同家において七之助、芳蔵、門太夫の四代を経て現在の中立笹崎一三氏(門太夫弟)に及んだという。
わたしの古いノートには本吉方面に出稼ぎに行っていた理惣太に伝授したのは四郎兵衛から七代目の師匠弥惣次だとあるが、この四郎兵衛は伊藤伴内持遠の門下であった。
弥惣次という名は舞川に伝わる巻物の「代々之先生之部」には出ていないが、本吉郡の入谷村の行山躍は同郡の清水川村に伝えられたのであろう。理惣太は相伝を持参して日頃市村坂本沢に婿にきて鹿踊を伝えたのだとも聞いている。
 これを書くに当たって念のため笹崎一三氏に問い合わせたところ、坂本沢の理惣太が大船渡村字笹崎の笹崎家(家号は(大草嶺)に婿養子に来て、坂本沢とは別に笹崎鹿踊がおこり、笹崎家以外の中立としては、芳蔵ののち七蔵が幼かったため久作というのが一期踊ったという。現在は一三氏の後をついで日野昭氏が中立をつとめているとのことである。笹崎氏から写しを送って下すった相伝状は次の通りで、やはり弥惣次は四郎兵衛から七代目の師匠であった。」



背中の流しには次の歌が書かれています

〽 友達が遊びからしの 庭なれば
   志てがこぼれて 足にからまる

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庭入りから太鼓の調べまでの間 野の鹿が跳ね回る様のような躍動感が特徴です

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一人狂いでは ササラの肩入れから燕返しが連続します

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二人狂い から 三人狂い

コロナ禍で三陸海岸の祭賑わいがほとんどない中で、大変貴重な鹿踊上演となりました。 眼福!

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動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2021.05.20 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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