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2021.03.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

金澤神楽 東日本大震災犠牲者慰霊奉納

さて本日は、2021年3月14日に行なわれた金澤神楽の東日本大震災犠牲者慰霊での様子についてです。

2011年3月11日に発生し、岩手県沿岸部においても甚大な被害と多くの犠牲者が出た震災津波から10年が経過した。
金澤神楽さんは、津波で犠牲になった人々の御冥福を祈りるとともに、未だ行方不明の人々が1日でも早く家族の元へ帰ることができるようにとの祈りを込めて神楽念仏と鳥子舞の奉納を行った次第でした。

先に大槌魚市場にて大槌湾に向けて黙祷し、その後に神楽念仏をあげた。

〽 仏様 高野の山は遠ければ 遠ければ 今垂跡にまいらするもの 仏様

神楽の笛と太鼓、そして神楽念仏の歌が波の上を流れて行き、物故者のもとへと届いたと思います。



次に場所を大槌稲荷神社に移して慰霊の祭壇前で神楽念仏と鶏子舞の供養奉納でした。

ここで、金澤神楽の由来と経緯について

「金澤神楽は、文化12年に金沢地区に山伏によって伝えられたと言われます。
金澤地域は、大槌町街地から大槌川沿いに西に15kmほどの中山間地地域で、江戸時代初期から金山が開かれていました。
金山など鉱山は、他国の技術者や宗教者が流入して来たことでしょう。
明治18年頃旅人(沿岸巡行の神楽団体と思われる)が地元住民に教え、中井、三浦兄弟と他5人が、神楽組を設けて集落の稲荷神社や八幡神社の祭礼に奉納してきました。
伝えられた演目は12番ありました。地元では山伏系大和神楽として言われています。
昭和15年から昭和25年頃まで大槌稲荷神社へ奉仕し冬場には大槌町や釜石市箱崎・白浜周辺を巡行しました。
この時代は一兜清右衛間を同行頭に18人の男性がメンバーになり活発な活動を行って来ました。
しかし高度成長期になり、それぞれの仕事も忙しくなり巡行は中断し、神楽上演も少なくなって来ました。
昭和30年代には年々大槌町の祭が盛大になり、金澤集落でも神楽復興への気運が高まり、昭和53年に金澤神楽同好会を女性も含めた有志が結成し大槌まつりにも参加し始めました。
大槌まつりへの参加で神楽への関心が高まり伝承者の輸が広がり現在に至っていますが東日本大震災で神楽幕や装束・楽器を失い苦難を強いられました。
震災を乗り越えて小鎚神社祭礼にも参加したことで更に伝承の輸が広がり、様々なイベントにも出演してきました。
そして平成26(2014)年4月に同好会から保存会へと組織変更を行い20人以上で活動しています。」
ということです。

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二人の神楽子による庭舞から

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次に鳥兜を付けた神楽子が舞い出て扇と鈴を採って舞います。御神楽とも鶏子舞とも称します。

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金澤地区は江戸時代には代官所のあった大槌と南部藩城下町盛岡を結ぶ街道の要衝にあり、また亨保年間に金鉱脈を掘り当てて産金の里として隆盛を極めた歴史を持ちます。

更に沿岸部と内陸部の堺でもあったため双方の文化が交流した地域でもあります。故に浜の黒森系統の神楽の影響を受け継いでいます。

明治期の中井栄蔵、三浦万徳兄弟の頃は4,5人の神楽衆とともに黒森神楽や小鎚神楽とともに門打ち神楽をして歩いたということです。

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金澤神楽さんは、いつもは大槌の秋祭りで見かけますが、この扇にオサゴ(散供)を載せて祓いあげ舞納める形が優雅かつ儀礼的意味合いの深い御神楽だなと感心しています。

今年こそコロナ禍が収まり、安渡祭り、大槌祭りが開催されるよう祈念するものです。

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動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2021.03.15 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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