川西大念仏剣舞「三人怒者、押込」@2021第1回.奥州市郷土芸能祭
さて本日は、2月28日に前沢ふれあいセンターで開催された第1回.奥州市郷土芸能祭から川西大念仏剣舞で三人怒者と押込(オッコミ)です。
川西念仏剣舞の由来についてです。
「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」
ということです。
現在の代表は伊藤敏男さんです。
大正14年に平泉村の小野寺亀造が発行した「平泉剣ばい」によると佐野剣舞が平泉剣舞の原初としているが、佐野剣舞がどのようなものであったかは不明。その佐野剣舞の流れを組むのが川西大念仏剣舞とある。
舞手は本来は十三仏に因んで十三人であったというが、現在は八人で踊る。
その構成は、鳥毛の采に阿吽のイカモノ面を付けた六人(正足、正足クズシ、押込、押込クズシ、矢車、魔王)であり、これらのイカモノが一人で舞う演目名も押込などの名前がついている。
それに鳥兜に女面を付けたワカドと、猿面を付けたサルコである。
三人怒者は、一度念仏の効力で済度された亡者が再び現れて荒れ狂う様を表している。
山伏神楽の勢剣や三宝荒神のように三人で刀潜りをします。
これも亡魂が荒れ狂い、跳ね踊るさまを表しているという。
続いて一人舞の押込。
押込の所作には、野獣のような少し道化けた所作が観られるが、これについて小形信夫は「念仏剣舞」の中で壬生大念仏狂言の人形振りに相似しているという。
川西大念仏剣舞には、一人舞の演目がいつくかあるが、それらは大念仏舞のクルイということである。
正足とオッコミがあるが、前者は吽面、後者は阿面をつける。
双方ともにクズシの踊りがある他、四方を切る所作があり神楽の影響が見て取れる。
動画でどうぞ
