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2021.02.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

皆白行山流三ヶ尻鹿踊「女鹿隠し」@2021映像記録上演

さて本日は、2021年2月21日に行なわれた「郷土芸能の継承と伝承を知る」というテーマで行なわれた皆白行山流三ヶ尻鹿踊の映像記録上演です。

この記録会(と交流会)は金ケ崎町教育委員会の委嘱を受けた経糸横糸合同会社が企画運営したもので、行山流鹿踊の横軸を結びつける取り組みでもあったようです。

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午前中には地元の皆白行山流三ヶ尻鹿踊が日頃なかなかできなでいた女鹿隠しの通し上演を行いました。
フルで踊ると40分超過するため、近年の発表会等では20分あるいは15分以内という時間制限で演ずることが難しかったという。
しかし、それでは若い継承者たちが芸能本来の姿を習得演舞する機会がなくなってしまう。
これはある意味で芸能発表会主催者側の問題でもある訳で、伝承を主眼におくならば、観客に忖度することなく伝承どおりに上演させるべきであろう。

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三ヶ尻鹿踊の由来について、

慶安2年7月に、駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山の踊りを小川利春に、流行山の踊りを青田利久に、そして源行山の踊りを石亀利具に伝授した。

その後、元禄初期に仙台領本吉郡水戸部村の伊藤伴内持遠が行山流を広く伝授し、その弟子・入谷村の四郎兵衛から登米郡中田町の治三郎に伝授され、以後、上胆沢郡上野村徳岡-上胆沢郡佐野村、そして七代目の師匠である胆沢郡八幡村(水沢区佐倉河)の万之助によって文政9年に三ケ尻田中屋敷の卯兵衛に伝授された。

とあります。

さて、女鹿隠し

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中立鹿が太鼓の縁絡みをしながら歌う鹿歌は、女鹿を思うかのような哀調を帯びた歌がかけられます

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最後に、ご祝儀があがったので返礼として儀礼的な唄を掛けます。
これを投げ草と呼ぶところもあり、往時は上げられた物によって即興的に誉め唄を掛けるのが鹿踊組の技量とされていました。

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この後に行山流鹿踊団体が集結しての意見交換会がありましたが、それは明日のブログにて。

動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2021.02.21 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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