和賀大乗神楽「榊舞」@2014第20回大乗神楽大会
さて本日は、2014年6月8日に行なわれた第20回大乗神楽大会から和賀大乗神楽で榊舞です。
和賀大乗神楽の由来について
「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の高法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称ざその後、一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当萬法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更木,の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾、亀田正樹、現在の鈴木俊逸と続きます。現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽全33演目の内、半数以上の演目を所持しています。」
ということで、現在の代表は鈴木俊逸さんです。
榊舞は、法印の資格を持つもののみ舞うことを許される格別のものです。
この法印の資格とは、一週間の修行を行い、作法に則って得度式を経た者のみに与えられる。
即ち、得度を経て舞を習得した舞手から次の法印にのみ伝授される直伝の秘曲といえる。
陸前浜の法印神楽でも榊舞は至高の舞とされ、初矢として上演されます。
大乗神楽では、様々な修験の手次足踏が加えられて信仰深い神楽になっていますが、元々は法印神楽では伊弉冉尊の祈祷舞とされています。
画像は爪米散供の場面です
前半の白面を付けてのネリに対して、後半は面を外しての御神楽となります。
榊の垂迹神は軍荼利夜叉明王で、その本地仏は金剛界宝生如来となっています。
榊舞は軍荼利明王にして大乗神楽の最上位、衆生救済とともに涅槃常樂の彼岸に達することで民衆を救うことを祈願したものです。
最後は秘法九字を切って舞い納めます。
動画でどうぞ
