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2021.01.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

鶯沢神楽「曾我兄弟元服~小袖曽我」@2021南部神楽舞初め公演

さて本日は、1月17日に金成延年閣で開催されました、南部神楽舞初め公演から鶯沢神楽で曾我兄弟元服、そして続いて小袖曽我の二場通し上演です。1時間13分に及ぶ大熱演でした。


その前に、鶯沢神楽さんの由来について定本より

「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創設した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者養成講習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」

ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。



この日の舞初め公演は「曽我物語」と銘打ってあり、曽我兄弟の仇討ち物語を四場面に仕組んだ神楽を鶯沢神楽、赤谷神楽、富沢神楽の三団体で上演したものです。

最初の曽我兄弟元服の場について

曽我太郎祐信は曽我兄弟の父親河津三郎祐泰が亡き後に後家となった満江御前が再婚した相手で、曽我兄弟の烏帽子親となって二人を養育し、やがて成長した兄弟の元服に立ち会うこととなる。

〽 月日の経つのは早いもの 流れる水より尚早し

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甥の一万丸、箱王丸の兄弟を呼び寄せ、 花の年頃にもなり、自分で生活出来る様になったので、今宵元服を致せと言い、兄の一万丸は亡き父祐康殿の祐の一字を貰い受け自分の曽我の姓を名乗り、曽我十郎祐成と改名すべし。
弟の箱王丸は北条時政殿を烏帽子親と頼み、時政殿の時の一字を貰い受け、曽我の姓を名乗り、曽我五郎時宗と改名せよと、
兄弟を元服させるのである。その時兄の一万丸は19歳、弟箱王丸は17歳であった。

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又、母からは父の敵討ちに行くのであれば、母の形見として、 悪源太義平殿の薄緑と名付けられし太刀を兄の十郎祐成に、 弟時宗には義経公秘蔵の友切丸と名付けられし名刀を共に形見分けを授ける。

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次に第二場 小袖曽我

兄の祐成は父の仇の工藤祐経を討とうと決心します。
その前に母親に今生の暇乞いをするため、また、五郎の勘当の許しも得ておこうと、母のもとを訪れます。

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まず、十郎が案内を求めると、母は喜んで迎え入れ別れに形見として小袖を与えます。

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そこへ弟五郎時致も馳せ参じます。
しかし、五郎には出家になれという母の命にそむいたというので怒って二度の勘当を言い渡します。

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十郎は弟五郎時致の身の上を不憫に思い刀で手に掛けようとします。

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それを見た母は慌てて制止し、二人に切々と教え諭します。

〽 この世の中に 子を持つ親の心は皆同じ
    親を思わぬ子はあれど 我が子を思わぬ親はなし

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兄弟の心が通じ、母もようやく五郎の勘当を許し、形見に小袖を与えます。

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二人は喜びの酒を酌み交わし、共に立って舞い、これが親子最後の対面かと名残もつきませんが、狩場に遅れてはならぬと、母に別れのあいさつをして、勇んで出立します。

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動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2021.01.19 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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